フランスの歴史2

カペー朝
987〜
1328年

 

 

 

 

 

 

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 987年、カロリング朝のルイ5世が亡くなると、パリ伯ユーグ・カペー(Hugues Capet)がフランス国王に推挙されカペー朝を開いた。当時のフランスは諸侯の勢力が強大で、カペー朝はパリ周辺だけを統治する弱小国家だった。第6代国王ルイ7世はアキテーヌやガスコーニュなど広大な領地を支配しているアキテーヌ公の娘アリエノール(アリエノール・ダキテーヌ)と結婚した。領地は飛躍的に拡大するはずだった。

 ところが、奔放な彼女は敬虔なキリスト教徒のルイと性格が合わず離婚した。その2ヵ月後にノルマンディー公でアンジュー伯でもあるアンリと再婚し、二人はフランスの半分を支配する領主になった(アンジュー帝国)。ほどなくアンリはイングランド王を継承してヘンリー2世となり、イングランド王がフランスの半分をに支配することになった。

 次のフィリップ2世はイングランドのジョン王と戦い、ノルマンディーやアンジューなどイングランドが支配するフランス国内の領土を奪還した。続くルイ8世アルビジョア十字軍を派遣してキリスト教の異端であるアルビ派(カタリ派)を討伐し南フランスに領土を拡大した。

 第9代国王のルイ9世は内政に力を入れフランス王国は繁栄した。彼は敬虔なキリスト教徒で、第7/8回十字軍を行ったが失敗し、チュニジアで病死した。死後カトリック教会より列聖され、聖ルイ(SaintLouis)となる。アメリカの都市セント・ルイスの語源となった。


フランス諸侯

フィリップ4世

 フランス王権をさらに強めたのが、フィリップ4世である。彼は戦費調達のため教会に課税したため、ローマ教皇ボニファティウス8世から破門された。彼はこれに反発し聖職者・貴族・平民の代表からなる三部会を招集し、その支持を得てイタリアのアナーニを襲撃して教皇を捕らえた(アナーニ事件)。 さらに次の教皇にフランス出身のクレメンス5世を擁立し、教皇庁をローマからアヴィニョンに移転した。また、テンプル騎士団を異端として解体し莫大な資産を没収した。王権は強大となり、絶対王政への基礎が築かれた。

 フィリップ4世以降は短命な国王が続き、シャルル4世を最後にカペー朝は断絶し、ヴァロワ朝に替わった(1328年)。


アリエノール・ダキテーヌ(英語名エレノア)

ヴァロワ朝
1328〜
1589年

 

 

 

 

 

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 カペー朝の断絶後、カペー家の遠縁ヴァロワ家のフィリップ6世が即位しヴァロワ朝(Valois)を開いた。しかし、フィリップ4世の娘イサベルを母としていたイギリスのエドワード3世がフランス王位の継承権を主張して百年戦争(1337〜1453年)が勃発した。長期にわたる戦争で封建諸侯は没落し、王権はさらに強化された。

 百年戦争後の1494年、7代目のシャルル8世はナポリ王国の継承権を主張してイタリアに侵入し、イタリア戦争が始まった。翌年にはナポリを占領してナポリ王となるが 、ヴェネツィアやローマ教皇、神聖ローマ帝国などの同盟軍に包囲され、フランスに逃げ帰った。これ以後、ハプスブルク家とフランス王家の対立が続く。

 16世紀後半になると、ユグノー戦争が始まり、1572年にはサン・バルテルミの虐殺がおこった。1589年に13代アンリ3世が暗殺され、ヴァロワ朝は断絶した。



ジャンヌダルクがシャルル7世に謁見したシノン城

ブルボン朝
1589〜
1792年

 1589年、ユグノー戦争におけるカルヴァン派側の首領であったナバラ王アンリが、フランス王アンリ4世として即位し、ブルボン朝が始まった。アンリは、政情を安定させるためカトリックに改宗した。そして、1598年にナントの勅令を発布し、プロテスタントの権利を認めた。これにより、30年以上続いたユグノー戦争は収束、国家は統一された。しかし、1610年に狂信的カトリック教徒の凶刃に倒れた。

 次にルイ13世が即位、摂政リシュリューの政策によって、絶対主義体制が強化されていった。またドイツで起こった30年戦争にも介入した。

 続いて太陽王ルイ14世が登場する。彼はヨーロッパの覇権を目指してたびたび侵略戦争を起こしたが、成果は少なかった。また、ヴェルサイユ宮殿を建設し、一流の芸術家や文人を集めた。晩年はスペインの王位継承をめぐって各国と戦った。表面は華やかだった太陽王の治世も、相次ぐ戦争のため軍事費が増大し、経済は混乱した。さらにナントの勅令を廃止したため、新教徒はヨーロッパ各国や新大陸に逃れた。この結果、フランス資本が海外に流出することになった。アメリカのルイジアナという地名はルイ14世にちなんで命名された。また、ルイジアナ州最大の町ニューオーリンズは新オルレアンという意味のフランス語に由来している。

 ルイ14世の後を継いだルイ15世も、オーストリア継承戦争などの対外戦争の軍事費を重税で賄った。こうしてフランス革命の遠因が作られていった。


太陽王ルイ14世(ベルサイユ宮殿)
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【参考資料】