| 最後の晩餐 Ultima Cena (Cenacolo) |
裏切り者がいることを指摘するイエスに、12人の使徒の複雑な心理描写が描かれている。ダヴィンチ・コードでは、ヨハネをマグダラのマリア(イエスの死と復活を見届けた女性)とする説が唱えられている。 |
| ペトロ Petrus |
![]() ペトロ像(聖ペトロの家教会) カペナウム イスラエル |
ペトロは漁師でヘブライ名はシモン、ペテロ、ケファともいわれる。12使徒の最長老でリーダー的存在。ガリラヤ湖で弟アンデレと漁をしている時にイエスに声をかけられ、最初の弟子になった。イエスは岩を意味するペトロというあだ名をつけた。 イエスが逮捕された時、他の弟子達は官憲の追跡から逃げた。ペトロは官憲に捕まりイエスのことを3度訊ねられたが、私は知らないと言い通した。彼は初代教会の指導者となった。彼はローマで布教していたが、AD67年、皇帝ネロの迫害により逆さ十字架にかけられて殉教した。彼はローマのサンピエトロ大聖堂に埋葬されている。 【Quo vadis?(クオ・ヴァディス:主よ、どこに行き給うか?)】 |
【ペトロ】 英:ピーター 仏:ピエール 露:ピョートル 伊:ピエトロ |
||
|
|
|
アンデレはペトロの弟で、元は洗礼者ヨハネの弟子だった。彼は、黒海沿岸で伝道を行い、ギリシアのパトラ(Patras)でX字型の十字架で処刑された。アンデレが処刑されたX字型の十字架は「アンデレの十字架(セント・アンドリュー・クロス)」と呼ばれ、スコットランドの国旗(青地に白)やロシア海軍の軍艦旗(白地に青)になっている。彼は漁師の保護者であり、スコットランドの保護者である。また、東方教会(ギリシア正教)の初代総主教とされている。
|
【アンデレ】 英:アンドルー 仏:アンドレ 独:アンドレアス |
||
| 大ヤコブ Jacobus |
![]() 迫害されるヤコブ (プラド美術館 マドリッド) |
ヨハネの兄でゼベダイの子ヤコブあるいは大ヤコブと呼ばれる。イエスが捕らわれる直前、オリーブ山のゲッセマネに向かった時に、ヨハネ、ペテロと同行した。しかし、イエスの苦悩の祈りをよそに眠り込んでしまった。 キリストの死後、6年間スペインに行き布教活動を行った。エルサレムに戻るとキリスト教徒への迫害はすざましく、すぐに捕らえられ斬首刑になった。使徒の中で最初の殉教者である。彼の弟子達はパレスチナを離れ、遺骸をスペインのコンポステラ(campus stellae:星の野原)に運んだ。その後スペインはアラブ人が押し寄せて異教徒の世界となり、その墓は忘れ去られた。 【サンティアゴ・デ・コンポステラ:Santiago de Compostela】 |
【ヤコブ】 英:ジェームス 仏:ジャック 独:ヤーコブ 西:サンティアゴ |
||
| ヨハネ Johannes |
![]() |
大ヤコブの弟、ガリラヤの漁師の子。イエスを洗礼した洗礼者ヨハネの弟子。ヤコブ、ペテロと共にイエスの一番弟子であり、常にイエスと行動を共にした。気性が荒いことでヤコブと共にイエスから「雷の子」というあだ名を付けられた。 使徒の中で唯一殉教せず、エーゲ海のパトモス島で晩年を過ごし、福音書や黙示録を記した。 【ヨハネの黙示録】 迫害されているキリスト教徒を慰め、激励するために書かれた書簡。キリストの再来、神の国の到来、地上王国の滅亡などが記述されている。これはヨハネが神からの啓示を受けて書いたものといわれ、人類の終末が近づいてくる様子を描写している。 |
【ヨハネ】 |
||
|
|
![]() サンジョバンニ・イン・ラテラーノ大聖堂(ローマ) |
フィリポは、イエスが「私についてきなさい」とはっきり命じた最初の弟子でる。彼はエチオピアの女王に仕える宦官に福音を伝えた。その宦官がエチオピアに戻り教会を設立した。エチオピアや北アフリカには、かなり早い時期にキリスト教が普及している。
|
【フィリポ】 英:フィリップ 西:フェリペ |
||
| バルトロマイ Bartholomew |
![]() サンジョバンニ・イン・ラテラーノ大聖堂(ローマ) |
別名ナタナエル(Nathanael)、フィリポのすすめでキリストと出会い、5番目の弟子となった。イエスの死後インドからアルメニアで伝道活動をしていたが、捕らえられて生きながら皮を剥がれて殺された。 生きながら皮を剥がれたバルトロマイは、片手にナイフ(メス)を、もう片方の手には剥がされた皮膚を持っている姿で描かれている。次第に解剖学の象徴となり、多くの医学院で見られるようになった。 1572年のバルトロマイの祝日に、パリで新教徒が虐殺される聖バルテルミーの虐殺:St. Bartholomew's Day Massacre)がおこる。 |
|||
| トマス Thomas |
![]() Nail Mark by Li Wei San, China |
復活したイエスは、トマス以外の弟子が集まったところに現れた。イエスの姿を見ていなかったトマスはイエスの復活を信じようとせず、「あの方の手の釘の跡に、この指を入れてみなければ、また、この手をわき腹に入れてみなければ、私は決して信じない」と言い張った。8日後イエスはトマスの前に現れ、、「あなたの指を私の手とわき腹に入れてみなさい」と言った。トマスは復活を信じた。 トマスは、イランからインド方面に伝道した。南インドにはトマスが設立した教会がある。西暦68年〜75年ごろ、殉教しチェンナイ(旧マドラス)に葬られた。 ポルトガルがチェンナイを支配し、サン・トメ教会やサン・トメ要塞を建設した。 |
|||
|
|
![]() |
マタイは町の徴税人で、ユダヤ人社会からのけ者にされていた。徴税人とは、ローマ帝国から徴税業務を請け負った者で、決まった額を当局に納めなければならなかったが、余った分は自分の収入になった。そのため、徴税人は取り立てられるだけ取り立てようとするため、住民からは嫌われていた。 イエスは収税所にいるマタイに「弟子になるように」と声をかけ、彼は仕事を捨てて従った。 彼が「マタイの福音書」の著者である。キリストの死後、エルサレムの教団内に留まり、その後エチオピアあるいはトルコで殉教したといわれる。 |
【マタイ】 英:マシュー 仏:マテュー |
||
| シモン Simon |
![]() サンジョバンニ・イン・ラテラーノ大聖堂(ローマ) |
シモンはイエスの弟子になる前は、ローマの支配に抵抗する熱心党のメンバーだった。シモンはローマ人を屈服させられる指導者を探しており、その姿をイエスに重ね合わせていたのかもしれない。 キリストの磔刑後エジプトに伝道し、その後ユダ(タダイ)とともにペルシアやアルメニアで活動し、そこで殉教したといわれる。 シモンは鋸で切断されて処刑されたという。そのため彼を描いた絵画には、鋸が描かれているものが多い。 |
|||
| 小ヤコブ Jacobus |
![]() 小ヤコブ:ローマ・十二使徒教会 |
ヤコブはイエスの近親者(兄弟または従兄)で、アルファイの子ヤコブあるいは小ヤコブといわれる。聖霊降臨後に復活したイエスに出会い、エルサレム教会に加わった。教会を代表する人物として活躍し、初代エルサレム司教になった。 新約聖書「ヤコブの手紙」の著者ともいわれている。エルサレムの神殿の屋根から突き落とされ、こん棒でたたかれて殉教したといわれている。彼を描いた絵画には、こん棒が多く描かれている。 【ヤコブの手紙】 「行いの伴わない信仰は死んだものである」という表現で有名。 |
|||
| ユダ(タダイ) Judas |
![]() |
ユダ(タダイ)に関する伝承は定かではないが、小ヤコブの兄弟あるいはイエスの親族だったといわれる。イスカリオテのユダと区別するため、「ヤコブの子ユダ」または、「イスカリオテでないユダ」と呼ばれている。ユダという名前が嫌われて「忘れられた聖人」と呼ばれた。 タダイはバルトロマイとともにエデッサ(現ウルファ、トルコ南東部)やアルメニアに宣教したといわれる。アルメニア使徒教会は、彼らによって建てられた教会と伝えられている。 |
|||
| イスカリオテのユダ Judas Iscariot |
![]() ユダの裏切り (パリ・StFrancois Xavier 教会) |
イエスはユダを愛し、信頼してお金を任せた(財務担当)。しかしユダは、貪欲に走って歴史上の裏切り者となった。イエスは、彼の裏切り行為を知って、「私を裏切る人は生まれなければよかった」ときびしく戒めている。最後にイエスはゲッセマネで、「友よ、しようとしていることを、するがよい」とユダに告げた。イエスは彼を友と語りかけて赦している。 イエスを銀貨30枚で売り渡したユダは、イエスに死刑判決が下ったことを知って後悔した。「私は罪のない人を売り渡し、罪を犯しました」と言って銀貨を返そうとしたが、ユダヤ教の祭司たちは拒絶した。ユダは銀貨を神殿に投げ込んで自殺した。イエスの死の前のことである。 【ビートルズのヘイ・ジュード】 |
【ユダ】 英:ジュード |
||
| マティア Matthias |
イスカリオテのユダの後任として、くじ引きで12使徒に選ばれた。彼は、トルコやカスピ海地方、また遠くエチオピアまで布教したようである。 |
||||
| 年表に戻る |
【参考資料】
聖書人物記 R.P.ネッテルホルスト 創元社 |