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12使徒
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| 最後の晩餐 Ultima Cena (Cenacolo) |
裏切り者がいることを指摘するイエスに、12人の使徒の複雑な心理描写が描かれている。ダヴィンチ・コードでは、ヨハネをマグダラのマリア(イエスの死と復活を見届けた女性)とする説が唱えられている。 |
| ペトロ Petrus |
![]() ペトロ像(聖ペトロの家教会) カペナウム イスラエル |
ペトロは漁師でヘブライ名はシモン、ペテロ、ケファともいわれる。12使徒の最長老でリーダー的存在。ガリラヤ湖で弟アンデレと漁をしている時にイエスに声をかけられ、最初の弟子になった。イエスは岩を意味するペトロというあだ名をつけた。 イエスが逮捕された時に、ペテロや他の弟子達は官憲の追跡を逃れてガリラヤへ逃げた。ペテロは官憲に捕まったがイエスを知らないと言い通した。その後、エルサレムからアンティオキアを経てローマで布教していたが、皇帝ネロの迫害により逆さ十字架にかけられて殉教した。 【Quo vadis?(クオ・ヴァディス:主よ、どこに行き給うか?)】 |
【ペトロ】 英:ピーター 仏:ピエール 露:ピョートル 伊:ピエトロ |
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アンデレは漁師の保護者、またスコットランドの保護者とされている。また、東方教会(ギリシア正教)の初代総主教とされている。 |
アンデレは黒海沿岸地方で伝道を行い、ギリシアのパトラ(Patras)でX字型の十字架で処刑された。アンデレが処刑されたX字型の十字架は「アンデレの十字架(セント・アンドリュー・クロス)」と呼ばれ、スコットランドの国旗(青地に白)やロシア海軍の軍艦旗(白地に青)などが有名である。
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【アンデレ】 英:アンドルー 仏:アンドレ 独:アンドレアス |
| 大ヤコブ Jacobus |
![]() ヤコブ騎馬像 (サンチャゴ・デ・コンポステラのカテドラル スペイン) |
ヨハネの兄でゼベダイの子ヤコブあるいは大ヤコブと呼ばれる。。捕らわれる直前のイエスの祈りに、ヨハネ、ペテロと同行するが、師の苦悩の祈りをよそに眠り込んでしまう。 キリストの死後、スペインへ布教に向かう。イベリア半島の北西端に上陸し、ここを基点に6年間スペイン中を回り、多くの奇跡を起こす。余り説教が上手くなかったのか、殆どお弟子さんもできず失意の内にイスラエルに戻る。 当時のイスラエルはヘロデ王のキリスト教徒迫害が激しく、すぐに捕らえられて斬首刑になる。使徒の中で最初の殉教者。彼の弟子達はパレスチナを離れ、遺骸をスペインのコンポステラ(campus stellae:星の野原)に運んだ。その後スペインはアラブ人が押し寄せて異教徒の世界となり、その墓は忘れ去られた。 【サンティアゴ・デ・コンポステラ:Santiago de Compostela】 |
【ヤコブ】 英:ジェームス 仏:ジャック 独:ヤーコブ 西:サンティアゴ |
| ヨハネ Johannes |
![]() |
大ヤコブの弟、ガリラヤの漁師の子。イエスを洗礼した洗礼者ヨハネの弟子。ヤコブ、ペテロと共にイエスの一番弟子であり、常にイエスと行動を共にした。気性が荒いことでヤコブと共にイエスから「雷の子」というあだ名を付けられた。 使徒の中で唯一殉教せず、パトモス島で晩年を過ごし、福音書や黙示録を記した。 |
【ヨハネ】 |
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![]() サンジョバンニ・イン・ラテラーノ大聖堂(ローマ) |
イエスが「私についてきなさい」とはっきり命じた最初の弟子で、バルトロマイ(ナタナエル)をイエスに紹介した。 フィリポはエチオピアの宦官に福音を伝えた。その宦官がエチオピアに戻り教会を設立した。エジプトと北アフリカでは、かなり早い時期にキリスト教が普及した。 イエスの昇天後、トルコで宣教した。トルコ西部ヒエラポリスのマルス神殿に十字架を建てたところ、軍神マルスの化身である悪龍が現れ王子など数名を惨殺した。フィリポは奇蹟を起こし死者を蘇生した。その後フィリポは、マルス神殿の司祭らによって逆十字に縛られ石責めをされて殉教した。ヒエラポリスの遺跡にはフィリポの殉教碑や教会が残っている。 |
【フィリポ】 英:フィリップ 西:フェリペ |
| バルトロマイ Bartholomew |
![]() サンジョバンニ・イン・ラテラーノ大聖堂(ローマ) |
別名ナタナエル(Nathanael)、親友フィリポのすすめでキリストと出会い、5番目の弟子となった。キリストの十字架のあと、地道に布教を続けた。アルメニア王の娘から悪霊を追い出したお礼に、布教を許された。しかし、次の王に捕らえられ、生きながら皮を剥がれて殺された。 生きながら皮を剥がれた聖バルトロマイ。中世の挿し絵のバルトロマイは、片手にメスを、もう片方の手には剥がされた皮膚を手にしている。 16世紀には「筋肉男」としてのバルトロマイ像が登場。ヴァルヴェルデスの木版画が特に有名だが、皮を剥がれた男の彫刻や蝋人形も作られた。エコルシェ(ecorche: 剥皮する)と呼ばれたこの筋肉男は次第に解剖学の象徴となり、多くの学院で見られるようになった。 1572年のバルトロマイの祝日に、パリで新教徒が虐殺される聖バルテルミーの虐殺:St. Bartholomew's Day Massacre)がおこる。 |
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| トマス Thomas |
![]() Nail Mark by Li Wei San, China |
別名デドモ(双子の意味)。トマスだけ復活したイエスの姿を見ていなかった。「あの方の手の釘の跡に、この指を入れてみなければ私は決して信じない」と復活を疑った。イエスはトマスの前に現れ、、「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい」と言った。トマスは復活を信じた。 トマスは、イエスが昇天してからイランからインド方面に伝道した。南インドにはトマスが設立した教会がある。西暦68年〜75年ごろ、バラモン教徒の手にかかって殉教した。 トマスの伝道の結果、インドでは多くの人がキリスト教信者になった。約1400年後、ポルトガル人がインドに来た時、すでにキリスト教徒が大勢いるのに驚いた。 |
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町の徴税人で、イエスに呼びかけられて弟子となった。徴税人とは、ローマ帝国の税金取り立てをする請負人の手先。彼らのボスの請負人は、民衆から税金をしぼり取って私腹を肥やした。徴税人はそのおこぼれをもらうわけでもなく、安い日当に甘んじ、民衆の非難や排斥を受けるという、みじめな立場だった。 1世紀頃のパレスチナでは、多くの失業者が徴税人に身を落としていた。 彼が「マタイの福音書」の著者である。キリストの死後、エルサレムの教団内に留まり、その後エチオピアあるいはペルシャで殉教したといわれる。 |
【マタイ】 英:マシュー 仏:マテュー |
| シモン Simon |
![]() サンジョバンニ・イン・ラテラーノ大聖堂(ローマ) |
熱心党のシモンと呼ばれる。熱心党というのは、ローマからの独立を企て、武装蜂起も辞さないとした一派。 エジプトに伝道し、その後ユダ・タダイとともにペルシアに行き、そこで殉教したといわれる。 |
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| 小ヤコブ Jacobus |
![]() 小ヤコブ:ローマ・十二使徒教会 |
アルファイの子ヤコブ。聖霊降臨後はエルサレムの教会を代表する人物として活躍した。 ヤコブの手紙の著者であるとすれば、62年に石殺しで殉教している。 | |
| ユダ(タダイ) Judas |
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ユダ(タダイ)に関する伝承は定かではないが、その名はアッシリア、シリア(エデッサ)、ペルシャで伝えられている。 タダイは、「ヤコブの子ユダ」または、「イスカリオテでないユダ」と呼ばれている。 エデッサ(現ウルファ、トルコ南東部)やパルテヤ地域(カスピ海南東)に伝道した。エデッサは東方キリスト教の中心地として栄えた。 |
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| イスカリオテのユダ Judas Iscariot |
![]() ユダの裏切り (パリ・StFrancois Xavier 教会) |
イエスはユダを愛し、信頼してお金を任せた(財務担当)。しかしユダは、貪欲に走って歴史上の裏切り者となった。イエスは、彼の裏切り行為を知って、「私を裏切る人は生まれなければよかった」ときびしく戒めている。イエスとユダの最後の出会いは、ゲッセマネで、「友よ、しようとしていることを、するがよい」と言った。イエスは彼を友として赦している。 イエスを銀貨30枚で売り渡したユダは、イエスに死刑判決が下ったことを知って後悔した。「私は罪のない人を売り渡し、罪を犯しました」と言って銀貨を返そうとしたが、ユダヤ教の祭司たちは拒絶した。 ユダは銀貨を神殿に投げ込んで自殺した。イエスの死の前のことである。 【ビートルズのヘイ・ジュード】 |
【ユダ】 英:ジュード |
| マティア Matthias |
イスカリオテのユダの後任として12使徒に加えられた。くじ引きで選ばれた。カパドキア(現在のトルコ東部)で宣教し、62年ごろ殉教した。 マティアはエルサレムで活躍したのち、トルコやカスピ海地方、また遠くエチオピアまで布教したが、現在のロシアのコルキスという町で暴徒の手にかかって殉教したと言われている。 |
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【参考資料】
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