12使徒
最後の晩餐

 処刑される前の晩、イエスは12使徒とともに過越の食事をとった。これが最後の晩餐Last Supper)である。この席でイエスは、使徒の一人が裏切り、他の使徒達も逃げてしまうと予告した。イエスは神に感謝する祈りを唱え、パンを「自分の体」、葡萄酒を「自分の血」として弟子たちに与えた。このことがキリスト教の聖餐(せいさん)という儀式(ミサ)の起源である。

 12使徒はイエスの昇天後イエスの教えを広めるために各地で命がけの布教活動を行った。当時ヨーロッパやアフリカ、中東を支配していたローマ帝国は、皇帝を崇拝しないキリスト教徒を迫害し、ヨハネ以外の使徒は殉教した。

 最後の晩餐の場面は非常に多くの作品が残されているが、ミラノのサンタ・マリア・デレ・グラツィエ教会にあるレオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci )の絵画が有名である。裏切り者がいることを指摘するイエスに、12人の使徒の複雑な心理描写を描いている。

ペトロ
Petrus

ペトロ像(聖ペトロの家教会)
イスラエルのカペナウム

 ペトロは12使徒の最長老でリーダー的存在。本名はシモン(シメオン)、ペテロ、ケファともいわれる。ガリラヤ湖で弟のアンデレと漁をしている時にイエスに声をかけられ、最初の弟子になった。イエスが「あなたはペトロ(岩の意味)、私はこの岩の上に教会を建てよう。私はあなたに天国の鍵を授ける」と言ったことからペトロという呼び名になった。

 最後の晩餐で、イエスは「あなたは鶏が鳴く前に3度、私を知らないというだろう」と予言した。イエスが逮捕された時、ペトロも捕まりイエスのことを3度訊ねられたが、知らないと言い通した。

 彼はローマで布教していたが、AD67年、皇帝ネロの迫害により逆さ十字架にかけられて殉教した。その墓の上にサンピエトロ大聖堂が建てられた。初代ローマ教皇。

Quo vadis?(クオ・ヴァディス:主よ、どこに行き給うか?)】 ペトロは迫害が激しいローマを逃げ出してアッピア街道を歩いていると、反対側から歩いて来たイエスに出会った。「主よ、どこへ行かれるのですか?」と聞くと、「もう一度十字架にかけられるためにローマへ」と答えた。彼はそれを聞いて恥じ、死を覚悟してローマへ戻った。1896年、ポーランドのノーベル賞作家ヘンリック・シェンキエヴィチがキリスト教迫害を描いた小説クオ・ヴァディスを書いた。また、ハリウッドでも同名の映画が作成された。

【ペトロ】
英:ピーター
仏:ピエール
露:ピョートル
伊:ピエトロ

アンデレ
Andreas

 

 

 

 

 

 

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聖アンデレと聖フランシスコ
(プラド美術館 マドリッド)

 アンデレはペトロの弟で、二人とも洗礼者ヨハネの弟子だった。彼は黒海沿岸で伝道を行い、ギリシアのパトラ(Patras)でX字型の十字架で処刑された。アンデレが処刑されたX字型の十字架は「アンデレの十字架(セント・アンドリュー・クロス:St.Andrew's Cross)」と呼ばれ、スコットランドの国旗(青地に白)やロシア海軍の軍艦旗(白地に青)になっている。彼は漁師の保護者であり、スコットランドやルーマニア、ロシアの守護聖人である。また、正教会(ギリシア正教)の初代総主教とされている。

アンデレが処刑されたパトラの町
(ギリシア)
セント・アンドリュー・
クロス
【アンデレ】
英:アンドルー
仏:アンドレ
独:アンドレアス
大ヤコブ
Jacobus

迫害されるヤコブ
(プラド美術館 マドリッド)

 ヤコブは弟のヨハネとガリラヤ湖畔で網の手入れをしていた。通りがかったイエスは二人に声をかけ、そのまま二人とも弟子になった。彼はゼベダイの子のヤコブあるいは大ヤコブと呼ばれる。イエスが捕らわれる直前、ペトロ、ヨハネとともにオリーブ山のゲッセマネに向かった。しかし、イエスの苦悩の祈りをよそに眠り込んでしまった。

 イエスの死後、スペインで布教活動を行った。エルサレムに戻るとキリスト教徒への迫害は激しくなっていた。彼もすぐに捕らえられて斬首され、使徒の中で最初の殉教者になった。彼の遺骸はスペインのコンポステラ(campus stellae:星の野原)に運ばれた。8世紀になるとアラブ人がスペインに押し寄せて異教徒の世界となり、その墓は忘れ去られた。

【サン・ティアゴ・デ・コンポステラ:Santiago de Compostela】
 スペインにおけるレコンキスタの最中にヤコブの遺体が発見され、イスラム勢力と闘うキリスト教徒を守るシンボルとして崇められた。 法皇レオン3世はこの地を聖地に指定し、ローマ、エルサレムと並ぶ巡礼地になった。ヤコブはスペインの守護聖人である。

【ヤコブ】
英:ジェームス
仏:ジャック
独:ヤーコブ
西:サンティアゴ
ヨハネ
Johannes

 大ヤコブの弟でイエスに洗礼を授けた洗礼者ヨハネの弟子。ヤコブ、ペテロと共にイエスの一番弟子であり、常にイエスと行動を共にした。兄のヤコブと同様に気性が荒く、イエスから「雷の子」というあだ名が付けられた。

 使徒の中でただ一人殉教せず、エーゲ海のパトモス島で晩年を過ごし、福音書や黙示録を記した。

【ヨハネの黙示録】 迫害されているキリスト教徒を慰め、激励するために書かれた書簡。キリストの再来、神の国の到来、地上王国の滅亡などが記述されている。これはヨハネが神からの啓示を受けて書いたものといわれ、人類の終末が近づいてくる様子を描写している。

【ヨハネ】 
英:ジョン
仏:ジャン
伊:ジョヴァンニ
西:ファン
独:ヨハン、ハンス 露:イワン
【女性形】
ヨハンナ、ジョアンナ、ジョアナ、ジョアンヌ、ジャンヌ、ジャネット

フィリポ
Philippe

 

 

 

 

 

 

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サンジョバンニ・イン・ラテラーノ大聖堂(ローマ)

 フィリポ(ピリポ)は、ペトロやアンデレと同じ町の出身である。最後の晩餐の時「主よ、私たちに御父(神)を見せて下さい」と頼んだ。イエスは「私を見た者は、父を見たのだ」と答えた。この話から「神の子イエス」という考え方が生まれた。

 彼はエチオピアの女王に仕える宦官に福音を伝え洗礼を授けた。その宦官がエチオピアに戻りエチオピア教会を設立した。エチオピアや北アフリカには、かなり早い時期にキリスト教が普及している。

その後フィリポはトルコで宣教を行った。ヒエラポリスの町ではマルス神殿に住みついた悪龍を退治し、龍にかまれた大勢の人々の命を助けた。町の支配者や異教の神官はこれに反発し、彼を逆十字に縛って処刑した。

彼はヒエラポリスに埋葬された。


ヒエラポリスのローマ遺跡
(トルコ)
【フィリポ】
英:フィリップ
西:フェリペ
バルトロマイ
Bartholomew

サンジョバンニ・イン・ラテラーノ大聖堂(ローマ)

 別名ナタナエル(Nathanael)、フィリポのすすめでイエスと出会い、5番目の弟子となった。イエスの死後インドからアルメニアで伝道活動をしていたが、捕らえられて生きながら皮を剥がれて殺された。

 生きながら皮を剥がれたバルトロマイは、片手にナイフ(メス)を、もう片方の手には剥がされた皮膚を持っている姿で描かれている。次第に解剖学の象徴となり、多くの医学院で見られるようになった。

 1572年のバルトロマイの祝日に、パリでカトリック勢力による新教徒を虐殺する事件聖バルテルミーの虐殺:St. Bartholomew's Day Massacre)が起きた。

【バルトロマイ】
英:バーソロミュー 、バート
トマス
Thomas

キリストの傷に触れるトマス
(フィラデルフィア美術館)

 ゴルゴダの丘で処刑されたイエスは3日後に復活した。トマスはその話を信じようとせず、「あの方の手の釘の跡にこの指を、わき腹にこの手を入れてみなければ、決して信じることができない」と言い張った。8日後イエスはトマスの前に現れ、「あなたの指を私の手とわき腹に入れてみなさい」と言った。トマスはイエスの復活を心から信じた。

 トマスは、イランからインド方面に伝道した。南インドにはトマスが設立した教会がある。西暦68年〜75年ごろ、殉教しチェンナイ(旧マドラス)に葬られた。

 1522年、ポルトガルはチェンナイを支配し、サン・トメ教会やサン・トメ要塞を建設した。サン・トメとは聖トマスのこと。

【トマス】
英:トーマス、トム、トミー
仏:トマ

マタイ
Matthaeus

 

 

 

 

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 マタイは町の徴税人で、嫌われ者だった。徴税人とは、ローマ帝国から徴税業務を請け負った者で、決まった額を納めなければならなかったが、余った分は自分の収入になった。そのため、徴税人は取り立てられるだけ取り立てようとしたため、住民からは嫌われていた。

 ある日イエスは収税所にいるマタイに「弟子になるように」と声をかけ、彼は仕事を捨てて従った。彼は嬉しさのあまりイエスを宴会に招いた。そこには徴税人の仲間や娼婦も集まっていた。これを見たユダヤ教の指導者は「なぜあなたは徴税人や罪人と一緒に食事をしているのか?」と言った。イエスは「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。私は正しい人ではなく、罪人を悔い改めさせるために来た」と答えた。

 彼が「マタイの福音書」の著者である。キリストの死後、エルサレムの教団内に留まり、その後エチオピアあるいはトルコで殉教したといわれる。

【マタイ】 
英:マシュー
仏:マテュー
シモン
Simon

サンジョバンニ・イン・ラテラーノ大聖堂(ローマ)

 シモンはローマの支配に抵抗するユダヤ人の政治集団熱心党のメンバーだった。シモンがイエスの弟子になった経緯は不明だが、ローマに立ち向かう指導者としてイエスに期待していたのかもしれない。

 イエスの磔刑後エジプトに伝道し、その後ユダ(タダイ)とともにペルシアやアルメニアで活動し、そこで殉教したといわれる。

 シモンは鋸で切断されて処刑されたという。そのため彼を描いた絵画には、鋸が描かれているものが多い。

【シモン】
英:サイモン
小ヤコブ
Jacobus

小ヤコブ:ローマ・十二使徒教会

 ヤコブは大ヤコブと区別するためアルファイの子ヤコブあるいは小ヤコブといわれる。イエスの処刑後エルサレム教会を代表する人物として活躍し、初代エルサレム司教になった。

 新約聖書「ヤコブの手紙」の著者ともいわれている。エルサレム神殿で布教中に屋根から突き落とされ、こん棒でたたかれて殉教したといわれている。彼を描いた絵画には、こん棒が多く描かれている。

【ヤコブの手紙】 「魂のない体が死んだものであるように、行いのない信仰は死んだものである」ということばが有名。

ユダタダイ
Judas

 ユダ(タダイ)に関する伝承は定かではないが、小ヤコブの兄弟あるいはイエスの親族だったといわれる。イスカリオテのユダと区別するため、「ヤコブの子ユダ」または、「イスカリオテでないユダ」と呼ばれている。ユダという名前が嫌われたため意図的に話題にのぼることがなく、「忘れられた聖人」とさえ呼ばれた。

タダイはバルトロマイとともにエデッサ(トルコ南東部のウルファ)やアルメニアに宣教したといわれる。

301年にアルメニア王国は世界で初めてキリスト教を国教と定めた。そのアルメニア教会の総本山エチミアジン大聖堂は世界最古の教会である。


エチミアジン大聖堂
(アルメニア)
イスカリオテのユダ
Judas
Iscariot

ユダの裏切り (パリ・StFrancois Xavier 教会)

 イエスはユダを愛し、お金を任せるほど信頼していた。しかしユダは貪欲に走って歴史上最大の裏切り者となった。最後の晩餐の時、彼の裏切りを予見したイエスは「私を裏切る人は生まれてこなければよかった」と非難した。晩餐後、ユダはゲッセマネで祈るイエスに近づき接吻しようとした。それを合図に群衆がなだれ込んできてイエスを逮捕した。

 イエスを銀貨30枚で売り渡したユダは、イエスに死刑判決が下ったことを知って後悔した。「私は罪のない人を売り渡す罪を犯しました」と言って銀貨を返そうとしたが、ユダヤ教の祭司たちは拒絶した。ユダは銀貨を神殿に投げ込んで自殺した。

 【ビートルズのヘイ・ジュード】
「Hey Jude, don't make it bad!  ユダ そんなに落ち込むなよ」

【ユダ】 
英:ジュード
マティア
Matthias
 

 イスカリオテのユダの後任として、くじ引きで12使徒に選ばれた。彼は、トルコやカスピ海地方、また遠くエチオピアまで布教したようである。

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【参考資料】
聖書人物記 R.P.ネッテルホルスト 創元社