イスラエル王国
イスラエル王国

 ヨシュアの死後、士師がユダヤ人を指導した。士師の中から宗教的指導者サムエルと軍事的指導者サウルが出てくる。二人は部族を統合しイスラエル王国を建国した。やがて、サウルの強引なやりかたが嫌われ、将軍ダビデが台頭してくる。

 ダビデの人気に嫉妬したサウルは、暗殺を企む。危険を感じたダビデはイスラエルを離れ、外国の傭兵隊に身を置く。やがてサウルはペリシテ人との戦いで戦死し、ダビデは国に戻ってイスラエルを救うために立ち上がった。


ダビデを殺そうとするサウル
http://www1.neweb.ne.jp/wb/kaname/war/bc11/bc11isra.htm

ダビデ
(BC1004-965)

 ダビデは南部の部族をまとめて南イスラエルの王になり、サウルの娘ミカルを妻とした。その後、北イスラエルを併合、ペリシテ人を破り、イスラエルを強カな国家に作り上げた。首都はエルサレム。彼は外交や軍事手腕に優れ、音楽と詩の才能にも恵まれたイスラエル史上最大の賢王と讃えられている。

 ダビデは多くの妻をめとった。その中にバテシバ(Bathsheba)がいた。バテシバは人妻。彼女の入浴姿を偶然見てしまったダビデは一目ぼれし、彼女の夫を戦場に送り戦死させる。そして、バテシバを妻にした。

 神の怒りにふれたダビデは、息子を次々と失う。しかし、バテシバとの間に生まれた第2子ソロモンは成長し後継者となった。

【ゴリアテ】 旧約聖書に登場するペリシテ人の巨人兵士。身長2.9m、ゴライアス(Goliath)とも呼ばれる。少年ダビデは、ゴリアテの額に石を命中させて倒した。


ダビデとゴリアテ(ペリシテの巨人)の戦い
(サンタマリア・デラ・サルーテ教会の天井画 ヴェネツィア)

ソロモン
(BC965−930)

 

 

 

 

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 ダビデの子ソロモンは、近隣王国と条約を交わし、 政略結婚を重ね、王国を世界の列強に育てあげた。また、ソロモンは銅の採鉱や金属精錬などの事業を進めてイスラエルに莫大な富をもたらした。

 ソロモンは、エルサレムのモリヤの丘に壮大な神殿(第一神殿)を造営し、十戒の石版を安置、宗教の中心地とした。

 シバの女王(Sheba)は、ソロモンの物語に登場するアラビアの女王。シバは南アラビアあるいはエチオピアにあった国の名。シバの女王はソロモンが非常に賢明な王であると聞き、難問を出して彼を試した。しかし、ソロモンはその全てに正解した。

 ソロモンによって国は大いに繁栄したが、国民は労役や重税に苦しんだ。また、自分の出身部族を優遇したため部族間に不満が鬱積していった。

 
シバの女王とソロモン
南北王国時代
(BC930−586)

 ソロモンが亡くなると北イスラエルの10部族が反乱を起こし、BC928年に北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂した。ユダ王国がユダヤの語源。

 両国はアッシリアやエジプトの脅威にさらされた。BC722年、イスラエル王国はアッシリアのサルゴン2世に減ぽされ、北イスラエル10部族の民は奴隷としてアッシリアに強制連行され歴史から姿を消した。

ユディト

 アッシリアの将軍ホロフェルネスの軍勢がユダヤの町ベトリア(Bethulia)を包囲した。町は水源を断たれ降伏寸前に追い込まれた。この町には絶世の美人ユディト(Judith)が住んでいた。彼女は信心深く、貞淑な未亡人だった。彼女は町の危機を救うため、美しく着飾り、召使いを連れて敵陣を訪れた。

 将軍ホロフェルネスはユディトを一目見てその美しさに魅了される。
  「お前は何しに来たのだ?」
  「偉大な将軍のお力になるよう神がお導きになりました」
 将軍は、彼女の美しさと巧みな話に気を許し酒宴を催した。そして、彼女を誘惑するチャンスをうかがっていたが、不覚にも飲みすぎて眠りこけてしまった。ユディトは将軍の短剣を奪って首を切り落とした。町は救われた。

 ユディトの話は旧約聖書ユディト記に記されている。彼女はトランプのハートのクイーンのモデルになっている。


ホロフェルネスの首を斬るユディト(Judith Beheading Holofernes)
国立古代美術館(Galleria Nazionale d'Arte Antica) ローマ
バビロン捕囚
(Babylonian captivity:BC586−538)

 ユダ王国は、アッシリアの従属国家として存続した。アッシリアの崩壊後のBC597年、新バビロニアネブカドネザル2世がユダ王国を征服し、王や有力者をバビロンに連行した。これが第1回目のバビロン捕囚(Babylonian captivity)である。

 BC586年、バビロニアに反旗を翻したユダ王国は再度攻め込まれた。神殿は破壊され、住民全員が連行される2回目のバビロン捕囚が行われた。これによりユダ王国は完全に滅び、ユダヤ人は国を失った。

  バビロン捕囚は、ユダヤ人離散の始まりだった。それまで宗教の中心だった神殿がなくなり、それに代わるものとして、安息日の遵守、割礼カシュルート(食事戒律)を守った。バビロニア捕囚により、ユダヤ教が体系化され、ユダヤ民族はどんな試練にも耐える強靭な信仰心と団結力を持つようになった。

 BC539年、ペルシャ帝国のキュロス大王はバビロニアを征服し、ユダヤ人を解放した。エルサレムに帰還したユダヤ人は、BC515年に破壊された神殿跡に第2神殿を建設した。

 
ダビデのもとに行くバテシバ
http://www.ne.jp/asahi/art/dorian/BibleOld/HSamuel/Bathsheba/Bathsheba.htm
ヘロデ王
(Herod)

 その後、アレクサンドロスのマケドニア、続くシリアの支配を受ける。BC63年、ポンペイウス率いるローマ軍がシリアを破り、ローマがユダヤの支配者となる。ローマはユダヤ属州として統治し、ユダヤ人の自治を許した。

 この頃ハスモン朝がユダヤを支配していたが、不安定で内紛が絶えなかった。BC44年にカエサルが暗殺されると、ヘロデ大王がカエサルの部下アントニウスのローマ軍とユダヤに戻り、ユダヤの王となった(ヘロデ朝)。ヘロデはローマと協調する政治を行い、港湾都市カイサリアや要塞マサダを建設した。また、BC20年には、ソロモン時代を上回る規模で神殿を改築した。

 ヘロデ大王の息子の嫁がヘロディアで、その娘が洗礼者ヨハネの首を求めたサロメである。


港湾都市カイサリア(caesarea イスラエル)
ユダヤ人の離散

 ヘロデ大王の死後、ユダヤはローマの直轄領となった。しかし、ユダヤ人のローマに対する反感は高まり、AD66年に大反乱が勃発した。皇帝ネロは軍団を派遣したが、68年にネロは自殺し戦線は膠着する。70年にティトゥスが派遣され、エルサレムを落とし、神殿は再び破壊された。現在残っている嘆きの壁は神殿の西側の部分である。ローマにはティトゥスの凱旋門が作られた。

 エルサレム陥落後もマサダ要塞で抵抗は続いた。3年の籠城の末、マサダは陥落、籠城したユダヤ人は全滅した。

 その後の132年にも反乱が発生した。バル・コクバ率いる反乱軍は一時ユダヤの独立を達成したが、135年にはローマに制圧された。ユダヤ人の統治に手を焼いたローマはユダヤ人を離散させた。


マサダの要塞(イスラエル)
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【参考資料】