メソポタミア文明 (Mesopotamia)
シュメール人
(Sumerian)

 イラクのティグリス川とユーフラテス川流域のメソポタミアでは、大河を利用して灌漑農業を発展させた。BC3500年頃から人口が急激に増え、やがて文字が発明され、青銅器が普及した。BC3000年頃からシュメール人の都市国家が形成された。ウルウルク(Uruk)などが代表的な都市である。都市国家では、王を中心とした神権政治が行われ、60進法や楔形文字が使用された。

 都市国家は大規模な治水や灌漑によって農業生産を高め、交易によって繁栄した。そして壮大な神殿や宮殿が作られた。ギルガメシュ叙事詩に登場するギルガメシュ(Gilgamesh)は、BC2600年頃のシュメール人の王である。

【ギルガメシュ叙事詩】・・・ギルガメシュ王の冒険の物語。女神イシュタルの誘惑を振り切ったり、不死の薬草を求めて旅をする話。旧約聖書にあるノアの箱舟と似た洪水の記述もある。



メソポタミア
出展:http://eurekajwh.hp.infoseek.co.jp/kougi/kougi/nisiA/ori02.html

古バビロニア王国
(Babylon)

 シュメール人の都市国家は絶え間ない戦争のため衰え、BC2350年、アッカド人のサルゴン1世(Sargon)が都市国家を征服し、シリアからエラム(イラン南西部)に至るアッカド帝国(Akkad)を建国した。

 BC2230年頃、シュメール人が勢力を回復してアッカド帝国を滅ぼし、ウル第三王朝が作られた。しかしこの王朝も長続きせず、BC1900年頃、アムル人がバビロンに古バビロニア王国を建国した。

 この王朝はBC1700年頃、第6代のハンムラビ(Hammurabi)の時に最盛期を迎える。ハムラビ王は、BC1750年に「目には目を、歯には歯を」で有名なハムラビ法典を発布する。 ハムラビ王は、旧約聖書にアムラベルの名で登場する


ハンムラビ法典を記録した石棒(パリ:ルーブル美術館)

ヒッタイト王国
(Hittites)

 

 

 

 

 

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 BC17世紀半ば頃、鉄製の武器を使ったヒッタイトは、小アジアに強力な帝国を建設し、古バビロニア王国を滅ぼした。BC1285年頃、ヒッタイト王ムワタリは、シリアに進出してきたラムセス2世率いるエジプト軍と戦った(カデシュの戦い)。この戦いは、初めて公式な軍事記録に残され、成文化された平和条約が取り交わされた戦いである。この戦いでエジプトのシリア進出は阻止された。

 また、カッシート人は南メソポタミアに侵入して国家を建設し、北メソポタミアにミタンニ王国もできた。


カデシュの平和条約の碑文(イスタンブール考古学博物館)
ヒッタイトの滅亡

 ヒッタイトはBC1190年ころ、謎の海の民によって滅ぼされた。メソポタミアを支配してきたエジプトやヒッタイトが衰退すると、アラム人、フェニキア人、ヘブライ人が活躍した。

アラム人
BC1200年からダマスカスを中心に活躍し、アラム語は国際語として使われた。 アラム文字は、ヘブライ文字、アラビア文字、シリア文字、突厥文字、モンゴル文字などに派生していった。
フェニキア人

シドンやティルスなどの都市国家を作って地中海貿易を独占し、カルタゴなど 多くの植民都市を建設した。また、アルファベットの起源を作り、ギリシア人に伝えた。

ヘブライ人
遊牧民であったがBC1500年頃パレスティナに定住し、一部はエジプトに移住した。 エジプトのヘブライ人は、BC13世紀にモーゼに率いられてエジプトを脱出し、 パレスティナにイスラエル王国を建国した。 ダヴィデとその子ソロモンの頃に栄えた。

ヒッタイトの都ハットゥシャに残るライオン門(トルコ)
アッシリア(Assyria:シリアの語源)

 アッシリアはBC2000年頃イラク北部にできた国家で、当初はミタンニ王国に服属した。その後独立し、鉄製の武器と戦車や騎兵によって勢力をのばし、サルゴン2世(BC722〜705年)の頃、オリエントの大半を統一した。(最初の世界帝国)。

 最盛期はアッシュールバニパル王の頃で、BC663年にエジプトを征服する。首都をニネヴェに移し図書館を建設した。この遺跡からギルガメッシュ叙事詩が発見された。

 しかし過酷な専制支配をしいたため、BC612年にカルデア・メディア連合軍に滅ばされ、オリエントはエジプト、リディア、新バビロニア(カルデア)、メディアの4王国が分立した。この中で、新バビロニアが優勢だった。

 リディアは世界で初めて鋳造した貨幣を造り、物流に大きな変化をもたらした。貨幣はギリシャに広まっていった。


出展:http://eurekajwh.hp.infoseek.co.jp/kougi/kougi/nisiA/ori02.html

新バビロニア

 

 

 

 

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 新バビロニアのネブカドネザル2世(BC604〜562年、Nebuchadnezzar)の頃が最盛期で、メソポタミア、シリア、パレスティナを支配し、バベルの塔やイシュタル門などを建築した。また、またユダ王国を2度の遠征で滅ぼし、ユダヤ人の大量移送、バビロン捕囚(Babylonian captivity)を行った。

 イシュタルというのは、アッカドの女神でローマのヴィーナスのこと。このイシュタルは、アッカド滅亡後も各民族で崇拝される。イシュタルをイメージしたのが、イシュタル門。ベルリンの国立美術館に復元されたものがある。

 新バビロニアはBC539年にアケメネス朝ペルシアに滅ぼされ、バビロン捕囚のユダヤ人は解放された。


イシュタル門のライオン(イスタンブール考古学博物館)