| シュメール人 (Sumerian) |
メソポタミア文明は、ティグリス川とユーフラテス川流域のメソポタミアに生まれた世界最古の文明で、大河を利用した灌漑農業を行っていた。BC3500年頃から人口が急激に増え、楔形文字が使われ、青銅器が普及した。BC3000年頃からシュメール人の都市国家が形成された。ウルやウルク(Uruk)などが代表的な都市である。メソポタミアでは大洪水が何度も起き、都市の中心にはジッグラト(Ziggurat)と呼ばれる人口の丘が造られた。洪水の話はノアの箱舟の物語に、ジッグラトはバベルの塔の伝説になったと考えられている。 都市国家では、王を中心とした神権政治が行われ、人民や奴隷を支配する階級社会ができた。王のもとには莫大な富が集まり、大規模な治水や灌漑、あるいは壮大な神殿や宮殿が作られた。ギルガメシュ叙事詩に登場するギルガメシュ(Gilgamesh)は、BC2600年頃のシュメール人の王である。 【ギルガメシュ叙事詩】・・・ギルガメシュ王の冒険の物語。女神イシュタルの誘惑を振り切ったり、不死の薬草を求めて旅をする話。 |
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| 古バビロニア王国 (Babylonia) |
シュメール人の都市国家は絶え間ない戦争のため衰え、BC2350年、アッカド人のサルゴン1世(Sargon)が都市国家を征服し、シリアからエラム(イラン南西部)に至るアッカド帝国(Akkad)を建国した。 BC2230年頃、シュメール人が勢力を回復してアッカド帝国を滅ぼし、ウル第三王朝が作られた。しかしこの王朝も長続きせず、BC1900年頃、アムル人がバビロンに古バビロニア王国を建国した。 この王朝はBC1700年頃、第6代のハンムラビ(Hammurabi)の時に最盛期を迎える。ハムラビ王は、BC1750年に「目には目を、歯には歯を」で有名なハムラビ法典を発布する。 旧約聖書の創世記14章に登場するシナルの王アムラフェルはハムラビ王のことではないかという説がある。 【オリエント】 オリエントとは「太陽の昇るところ」を意味し、ヨーロッパから見た東方、現在の中東をさす。エジプトの太陽暦、バビロニアの60進法(現在も時計に使われている)、フェニキアの表音文字(アルファベット)がヨーロッパに伝わった。キリスト教もオリエントでうまれたものである。 |
![]() ハンムラビ法典を記録した石棒(パリ:ルーブル美術館) |
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BC17世紀半ば頃、鉄製の武器を使ったヒッタイトは、小アジアに強力な帝国を建設し、古バビロニア王国を滅ぼした。BC1285年頃、ヒッタイト王ムワタリは、シリアに進出してきたラムセス2世率いるエジプト軍と戦った(カデシュの戦い)。ヒッタイト軍は先頭のエジプト軍を壊滅させるなど戦闘を有利に進めたが、その後エジプト軍が巻き返し、こう着状態となった。ムワタリは停戦を申し入れ、ラムセス2世も受諾し両軍とも兵を退いた。平和条約は成文化されて粘土板に刻まれた。この粘土板は1905年にトルコのボアズカレで発見されそこがヒッタイトの都であることが分かった。またエジプトには、この粘土板と同じ内容がカルナック神殿の壁に刻まれている。
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![]() カデシュの平和条約の碑文 (イスタンブール考古学博物館) |
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| ヒッタイトの滅亡 |
ヒッタイトはBC1190年ころ、謎の民族である海の民によって滅ぼされた。海の民は自分達の国家を作らず歴史から消えてしまった。メソポタミアを支配してきたエジプトやヒッタイトが衰退すると、アラム人、フェニキア人、ヘブライ人が活躍した。
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![]() ヒッタイトの都ハットゥシャに残るライオン門(トルコ) |
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| アッシリア(Assyria:シリアの語源) |
アッシリアはBC2000年頃イラク北部にできた国家で、当初はミタンニ王国に服属していた。その後独立し、鉄製の武器と戦車や騎兵によって勢力をのばし、サルゴン2世(BC722〜705年)の頃、オリエントの大半を統一した。(最初の世界帝国)。 最盛期はアッシュールバニパル王の頃で、BC663年にエジプトを征服する。首都をニネヴェに移し図書館を建設した。この遺跡からギルガメッシュ叙事詩が発見された。 しかし過酷な専制支配をしいたため、BC612年にカルデア・メディア連合軍に滅ばされた。オリエントはエジプト、リディア、新バビロニア(カルデア)、メディアの4王国に分立した。この中で、新バビロニアが優勢だった。 リディアは世界で初めて鋳造した貨幣を造り、物流に大きな変化をもたらした。貨幣はギリシャに広まっていった。 |
![]() 出展:http://eurekajwh.hp.infoseek.co.jp/kougi/kougi/nisiA/ori02.html |
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新バビロニアのネブカドネザル2世(BC604〜562年、Nebuchadnezzar)の頃が最盛期で、メソポタミア、シリア、パレスティナを支配し、バベルの塔やイシュタル門などを建築した。また、またユダ王国を2度の遠征で滅ぼし、ユダヤ人の大量移送、バビロン捕囚(Babylonian captivity)を行った。 【イシュタル(Ishtar)】 アッカドの女神でローマのヴィーナスのこと。イシュタルは、アッカドが滅亡しても多くの民族で崇拝された。ネブカドネザル2世にはバビロンに入る8番目の門としてイシュタルを描いたイシュタル門を建設した。ベルリンのペルガモン博物館にはこの門を復元して展示している。 新バビロニアはBC539年にアケメネス朝ペルシアに滅ぼされ、バビロン捕囚で連行されたユダヤ人は解放された。 |
![]() イシュタル門のライオン(イスタンブール考古学博物館) |