エーゲ文明
クレタ文明

 エーゲ文明はBC2600年頃からBC1200年頃までエーゲ海に栄えた青銅器文明で、前期がクレタ文明、後期がミケーネ文明といわれる。

 クレタ文明(ミノア文明、ミノス文明)は、BC2600年頃にエーゲ海のクレタ島を中心に栄えた。クレタは、エジプトやシリアに近く、その文明の影響を受けた。麦・オリーブなどの農業や羊・やぎの牧畜が行なわれた。海上貿易が発達し、小アジアやシリアとの交易が行なわれた。

 クレタ島では、BC2000年頃にクノッソスに、BC1700年頃にはファイストス、マリア、ザクロに大きな宮殿が建てられた。宮殿を中心に都市が発達し、城壁を持たない平和的な文明だった。文字も使用しており、初期の絵文字から線文字へと進歩し、粘土板に宮殿の会計などを記録した。


クノッソス宮殿 (Knossos)

ミノス王

 クノッソスのミノス王は、強大な海軍力でエーゲ海の島々を支配した。クレタ文明は、海上交易によって、ギリシャ本土や小アジアに広がった。

 BC1450年頃、クレタ島の北にあるテラ島(サントリニ島)で大規模な噴火が発生し、地震・津波・火山灰がクレタを襲った。クレタ文明は急速に衰え、その後のギリシア人の侵入により滅んだ。


マリア遺跡(クレタ島malia)

エウロペ

【エウロペ】 ゼウスはフェニキア(現在のレバノン:Phoenicia)の美しい王女エウロペ姫に一目惚れした。しかし、妻ヘラの目が恐ろしい。一計を案じたゼウスは白い牡牛に姿を変えて姫に近づいた。
 不思議な牛に興味をひかれたエウロペは、一緒に遊び、誘われるまま背中に乗った。すると牡牛は静かに歩き始め、あっという間に海に入り、海を横切ってクレタ島に泳ぎ着いた。そこで牡牛は元のゼウスの姿に戻り、エウロペとの間に3人の子供をもうけた。そのうちの一人がミノス王。ヨーロッパは、エウロペ(Europe)に由来し、この牡牛がおうし座となった。


牛に乗るエウロペ(スパルタ考古学博物館)
赤い糸の伝説

 ミノス王は海の神ポセイドンに、「王になったら美しい牛をささげる」と約束した。ところがその約束を守らなかった。怒ったポセイドンは、王の妻パシパエ(Pasiphae)に牛を好きになる呪いをかけた。パシパエは牛と交わり、顔が牛、体が人間という化け物ミノタウロス(minotauros)を産んだ。

 ミノタウロスは成長すると乱暴になった。手を焼いたミノス王は、一度入ったら二度と出てこれない迷宮(ラビュリントス)をダイダロスに作らせ、そこにミノタウロスを閉じ込めた。そして、ミノス王が支配しているアテネから、9年毎に少年7人と少女7人を生け贄として捧げた。

 生け贄の習慣に憤慨したアテネのテセウス(Theseus)は、自らが生贄となって迷宮に入った。その時、ミノス王の娘アリアドネ(Ariadne)は赤い糸玉を渡した。テセウスは糸をほどきながら奥へ奥へと進んでいった。やがてミノタウロスと出会い、激しい戦いの末に討ち果たした。そして赤い糸をたぐりながら出口に向かい、無事に迷宮を脱出することができた。


ミノタウロスを倒すテセウス(美術史美術館 ウィーン)
エーゲ海とイカロスの翼

【エーゲ海】
 テセウスは父アイゲウスに、「無事ならば白い帆をあげて帰る」と約束してクレタに出発した。しかし、ミノタウロスとの戦いでこの約束を忘れてしまい、黒い帆のままアテネに帰った。これを見たアイゲウスは息子の死を悲しみ、海に身を投げた。この海がアイゲウスの名にちなみ、エーゲ海と名づけられた。

【イカロスの翼】
 テセウスはアリアドネをアテネに連れて帰った。ミノス王は烈火のごとく怒り、迷宮を設計したダイダロスとその息子イカロスを迷宮に閉じ込めた。

 二人は脱出するために翼を作り、それを蜜蝋で体に付けて鳥のように飛び立った。イカロスに「あまり高く飛ばないように」と注意したが、夢中になったイカロスはどんどん太陽に近づいて行った。すると蝋が溶けて翼がはがれ、墜落して死んでしまった。

ミケーネ文明

 

 

 

 

年表に戻る

 BC2000年にギリシア人の南下が始まった。第1次移動はアカイア人で、一部はクレタ島に渡り、クレタ文明を滅ぼした。BC1600年頃には、ペロポネソス半島のミケーネに城壁をめぐらせ、ミケーネ文明を築いた。ミケーネ文明の最盛期はBC14〜13世紀で、東はシリアやトロイ、西はシチリアと交易した。

 第2次移動はBC1200年頃で、ドーリア人鉄器を持って南下してきた。先住のアカイア人はエーゲ海の島や小アジアに移住し、ミケーネ文明は崩壊、文字も失われた。BC1200〜BC800年頃までは、文字で書かれた史料がなく、ギリシャ史上の暗黒時代と呼ばれている。

 暗黒時代の後に、ポリスを中心とする古代民主制の時代が到来する。

 


ミケーネ遺跡 ライオン門
トロイ戦争
(トロイア:Troia)

 海の女神テティス(Thetis)がギリシアの王ペレウスと結婚する。女神と人間の結婚式なので、神々やギリシアの王様たちがやって来て大いに盛り上がる。しかし、一人だけ宴会に呼ばれなかった女神がいた。嫉妬と争いの女神エリス。彼女は招待されなかったことに腹を立て、披露宴会場に黄金のリンゴを投げ込んだ。突然、転がり込んできた黄金のリンゴ、そこには「最も美しい女神へ」と書いてある。

 「そのリンゴは私のもの」と、3人の女神が名乗りを上げた。まずはゼウスの妻ヘラ、女神の中では一番偉い。次がアテナ、知恵と戦いの女神。そして愛と美の女神アフロディテ

 「私が一番美しいわよ」と、もめるが決着がつかない。3人はゼウスに、「誰が一番きれい?」って聞くが、ゼウスも困りはてる。一人を選べば残りの二人に恨まれる。そこで、ゼウスは美の判定者に決めさせることにした。判定者は羊飼いの少年パリス


トロイの遺跡(トルコ)
開戦

 女神たちはリンゴを手に入れるためパリスに買収工作をする。
  ・ヘラは、「世界の支配者にしてあげる」
  ・アテナは「あらゆる戦いに勝てる力を与えよう」
  ・アフロディテは「世界一の美女をあなたの妻に」
 パリスは、世界の支配よりも、勝利よりも、美女を選択した。

 最も美しい女神はアフロディテに決定、パリスはアフロディテの手引きで世界一の美女を手に入れ、トロイに連れ去った。その美女はスパルタ王メネラオスの妻ヘレネ、パリスは実はトロイの王子だった。

 妻をさらわれたメネラオスは怒り、兄のミケーネ王アガメムノン(Agamemnon)に相談する。ギリシアの盟主アガメムノンは、全ギリシア軍を率いて、トロイに攻め込んだ。


対岸がトロイ近くのチャナッカレの町
アキレスとヘクトル

 ギリシア軍には英雄アキレウス(アキレス)がいた。アキレウスは宴会の主役テティスとペレウスの子。テティスは人間の息子を不死身にしようと、生まれたばかりの我が子を不死の泉に浸ける。その時テティスはアキレウスの足首をつかんでいた。そこだけが泉につからず、唯一の弱点となった。これがアキレス腱。

 トロイ側の総大将は、パリスの兄のヘクトルで、老齢のトロイ王プリアモスに代わって全軍を指揮しギリシア軍を苦しめた。しかし、アキレウスとの一騎打ちで敗れ、屍を引きずりまわされる辱めを受けた。


トロイに運ばれるヘクトルの遺骸(ルーヴル美術館) Wikipedia
木馬の計

 トロイ戦争が始まって10年が過ぎた。両軍とも名だたる英雄は次々と死んでいった。それでも決着がつかない。そこで、ギリシアの名将オデュッセイウスは木馬の計を考えた。ギリシア軍は撤退するふりをしてトロイの海岸を引き払い、浜辺に大きな木馬を残した。木馬の中にはギリシア兵が隠れている。トロイ軍はその木馬を戦利品として城内に持ち込んだ。

 勝利の盛大な宴会が開かれ、トロイの兵士たちが酔いつぶれた頃、ギリシア兵が木馬から出てきて城門を開いた。外で待機していたギリシア軍が城内に乱入し、不滅のトロイは炎上した。


トロイの木馬
ラオコン
(Laocoon)

 トロイのアポロン神殿の神官ラオコンは、木馬を運び込もうとする市民をいさめた。ギリシアを味方する女神アテナは怒り、ラオコオンの両目を潰した。さらに、2頭の蛇の怪物にラオコオンと子供たちを食べさせた。


ラオコン像(ヴァチカン博物館 Musei Vaticani)

 パリスの妹カッサンドラは、「木馬はトロイを破滅する」と予言したが、誰も信じなかった。彼女はアポロンに愛され、アポロンから未来を予言する能力を授かった。しかし、予知能力を授かった瞬間、アポロンの愛が冷めていく未来が見えた。彼女はアポロンの愛を拒絶した。アポロンは怒り、彼女の予言は誰も信じないようにしてしまう呪いをかけた。

 トロイの英雄アイネアスは燃えさかる祖国に涙しながら脱出した。そして、多くの苦難を乗り越えてカルタゴからイタリアに渡り、その子孫がローマを建国した。彼は女神アフロディテとトロイの王族アンキセスとの間に産まれた子供。


父アンキセスを背負い、妻子を連れて脱出するアイネアス
ボルゲーゼ美術館(ローマ)

ホメロス
(Homeros)

 アキレウスを中心にトロイ戦争を描いたのがホメロスの叙事詩イリアスホメロスはBC8世紀のギリシアの詩人である。姉妹作オデュッセイアは、ギリシアの知恵者オデュセイウスがトロイから故郷に戻るまでの20年間の旅を描いた物語。

 トロイの首都はイリオス(Ilios、またはイリオン)。イリアスというのは、イリオスの話という意味。

  

 


ユリシーズセイレーン(チュニジア:バルドー博物館)

 ・ユリシーズ:オデュッセイアの英語名
 ・セイレーン:上半身が女で下半身が鳥の怪物

年表に戻る

 

【参考文献】
東地中海の文明