ムハンマド
イスラム世界の形成と発展(islam)

 イスラム教は、唯一絶対の神アッラーに帰依する宗教である。アッラーの言葉は最後の預言者ムハンマドに伝えられ、クルアーン(コーラン:Koran)に記された。イスラム(イスラーム)とは神に帰依する(アッラーに服従する)という意味で、具体的にはコーランの教えに従うことである。神に帰依する者をムスリム(muslim:イスラム教徒)という。

 イスラム教はユダヤ教キリスト教と同様に旧約聖書に登場する預言者を敬っている。イスラム教の五大預言者は、ノア(ヌーフ)、アブラハム(イブラーヒーム)、モーセ(ムーサー)、イエス(イーサー)、ムハンマドである。この3つの宗教はアブラハムの宗教とも言われ、唯一の神を信じる一神教で、偶像崇拝を禁止している(神は人に見える姿で表わすことができないため)。

 イスラム文明は、ギリシアやインドから学んだ自然科学や数学を発展させ、ヨーロッパのルネサンスに大きな影響を与えた。特にインドから伝わった10進法とゼロの概念は数学を発達させ、 現在使用しているアラビア数字はイスラム世界で完成された。また、イスラム商人の活動は中国・インド・ヨーロッパに広がり、文明の交流に大きく貢献した。現在、イスラム教徒は16億人を超え、キリスト教に次いで世界で2番目の信者がいる。

ムハンマド(Muhanmad)

ビシャプールの遺跡(イラン)
260年にペルシアに侵攻したローマ皇帝ウァレリアヌスが捕虜となり、幽閉されたビシャプールの町

 7世紀の初め、ササン朝ペルシアビザンツ帝国がシリア・アルメニア方面で激しい戦いを繰り返していた。そのため、シルクロードは途絶え、東西の交易はアラビア半島西部を経由して行われた。交易路の中心都市がメッカで、メッカの商人達は中継貿易で莫大な利益を上げた。また、メッカは遊牧民の宗教都市で、信仰の対象であるカアバ神殿(Kaaba)があり多くの人が集まった。

 ムハンマドは、メッカを支配していたクライシュ族の名門ハーシム家に生まれた。6歳で孤児となった彼は叔父の家に預けられ、成人すると隊商貿易に従事した。25歳の頃に裕福な未亡人ハディーシャと知り合い結婚した。彼女は15歳も年上だったが、家柄と経済力に恵まれた優れた人格者だった。彼らは2人の男の子と4人の女の子に恵まれ、平和な暮らしをしていた。

 やがて、ムハンマドは近郊のヒラー山の洞窟にこもり瞑想にふけることが多くなった。40歳のある日、いつものように瞑想にふけっていると、天使ジブリール(ガブリエル:Gabriel)がアラーの啓示を伝えた。その後何度も啓示が下り自分が預言者であることを自覚した。アラーの啓示はその後コーランとしてまとめられた。

【神の啓示】 人間の力では知ることのできない宗教的真理を、神が天使など超自然的なものを介して人間へ伝達すること。キリスト教では黙示という。


預言者のモスク(メディナ)

 ムハンマドは、使徒として神の言葉を伝える活動を開始した。最初の信徒は妻のハーディシャだった。そして彼の従兄弟のアリーや友人のアブー・バクルなどが続いた。最初の啓示から4年が過ぎたが、ムハンマドの信者はまだ30人程度だった。多神教を信じる商人や貴族達から反感をかい反感を買い本格的な迫害が始まった。更に不幸は続き、最も信頼していた妻のハーディシャや後ろ盾の叔父も亡くし次第に孤立感を深めていった。

 そこで新しい活動の場を求めて、メッカの北メディナヤズリブ)に移住した。これは、ヒジュラ(聖遷)と呼ばれ、移住した622年がイスラム暦の元年となった。メディナではアラブ人の2部族が対立していて調停者を必要としていた。ムハンマドはまさに適役だった。

 ムハンマドはもはや単なる預言者ではなく政治家であり裁判官だった。彼はまずモスクを建設しイスラムの儀礼を確立した。そして信仰共同体(ウンマ)の結束を固めて武装し、メッカとの聖戦(ジハード)を開始した。

メッカ入城

 

 

 

 

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カーバ神殿

 ムハンマドは、まずメッカとシリアとの交易路を遮断し、メッカの隊商隊を襲った。メッカは1000名の軍団で攻撃してきた。メディナ側は数100名で迎え撃ちメディナ近郊のバドルの戦いで勝利を収めた。ムハンマドの威信は大いに高まったが、ユダヤ教徒は彼を認めなかった。

 ムハンマドは同じ「啓典の民」であるユダヤ教徒には好意的で、エルサレムへの礼拝や断食などユダヤ教の制度を取り入れた。しかし、ユダヤ教徒は彼を預言者として認めなかった。ムハンマドはユダヤ教徒をメディナから追放し、礼拝の方向をエルサレムからカーバに変え、独自の断食月を設けた。追放されたユダヤ教徒はメッカ側についた。

 627年、1万のメッカ連合軍がメディナを包囲した。イスラム軍はサルマーンの進言によって塹壕に籠り迎え撃った。メッカ連合軍は塹壕を突破できず自然と瓦解していった。これがハンダクの戦いで、ハンダクとは塹壕のことである。630年、ムハンマドはメッカに進軍し無血入場した。彼は白いラクダに乗ってカーバ神殿を7周し、そこに立ち並んでいた360の偶像を全て破壊した。カーバ神殿はアラーの神殿となった。

【啓典の民】 啓典とは神の啓示(神のことば)を記した文書のことで、コーランやモーゼ5書(旧約聖書)などのことである。啓典の民とはイスラム教徒と同じように神のことばを信じるキリスト教徒やユダヤ教徒のことをいう。

アラビア統一
岩のドーム(エルサレム)

 ムハンマドは、メッカ征服の前後からアラビア各地の遊牧部族を信者にし、631年にはアラビア半島全土を統一した。632年、4万の信者とともにメッカに巡礼し、メディナに戻った。そして数ヵ月後の6月8日、63歳でこの世を去った。

 ムハンマドはメッカのカーバ神殿から天子ジブリール(ガブリエル)に連れられてエルサレム神殿まで旅をし、神殿の岩から天馬に乗って昇天したといわれている。ムハンマドが昇天した場所にはウマイヤ朝の時代に岩のドームが築かれた。

 ムハンマドは、後継者を指名しなかった。彼の死の翌日、長老格のアブー・バクルが初代カリフに選出され、正統カリフ時代に入った。

 イスラム教は、その独特の聖戦の概念により、わずか1世紀の間に中央アジアから北アフリカ、イベリア半島にいたる大帝国を築いた。11世紀以降は北アフリカのベルベル人の改宗が進み、内陸アフリカにも広まった。また、インドにもムガール王朝を建設し、13世紀に入ると貿易活動を通じて東南アジアにも広まっていった。

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【参考資料】
イスラム教の本 学研

イスラム教の教え
【五行】
信仰告白
シャハーダ
アッラーの他に神なし、ムハンマドはアッラーの使徒なり
・1日に5回唱える
礼拝
サラート
1日に5度の礼拝を行う
・メッカのカーバ神殿に向かって行う
断食
サウム
イスラム暦の9月に、1ヶ月間飲食を絶つ(日没後は飲食可能)
・飢えを我慢し、飲食できるしあわせを神に感謝する。
喜捨
ザカート
財産に応じて税金を払い、貧しい人や病弱者に施す
・弱者には無条件で手をさしのべる
巡礼
ハッジ
一生に一度、メッカのカーバ神殿にお参りする
・十分な財産と健康な者だけでよい
【六信】
唯一の絶対神
アッラー
アッラーは、全宇宙の創造主、全知全能の神である
【偶像崇拝の排斥】祈る時は偶像を仲介しないで直接アッラーに呼びかける。
天使
マラーイカ
アッラーが光から創造した天使を信じる
・天使は、アッラーの言葉を預言者に伝える。ジブリール、ミカエル、アズラーイルなど。
啓典
キターブ
コーランなどアッラーが預言者に伝えた啓典を信じる
・旧約聖書の「モーセ五書」、「ダビデへの詩篇」、新約聖書の「福音書」も啓典
預言者
ナービー
ムハンマドなどアッラーが言葉を託した預言者を信じる
・その他の預言者:アダムノアアブラハムモーセイエスなど
来世
アーヒラ
終末時のアッラーによる最後の審判と、来世を信じる
・正しい行いをした者は天国へ、悪い行いをした者は地獄へ行く
天命
カダル
アッラーにより、糧、寿命、幸福度が定められている
・信者は、アッラーに報いる生き方をすること
 ・安息日は金曜日  ・女性は肌を見せてはいけない  ・妻を4人まで持てる。ただし、平等に愛すること  ・豚を食べてはいけない