キリスト
キリストの降誕


受胎告知(捨て子養育院 フィレンツェ)

イエスの誕生を祝う歌がクリスマスキャロル、マリアを讃える歌がアベマリア

 パレスチナ北部の町ナザレに、大工のヨセフとその婚約者マリアが暮らしていた。ある日、マリアのもとに天使ガブリエルが現れ、神の子が宿ることを告げた(受胎告知)。その頃パレスチナを支配していたローマは、税を確実に取りたてるために住民登録を行っていた。ヨセフは身重のマリアをロバに乗せ、自分の出身地のベツレヘムに向かった。やっとたどり着いたその町には多くの人々が集まっていた。泊まる宿もなく、ようやく見つけた馬小屋でマリアは男の子を産んだ。産まれたばかりの赤ん坊は飼い葉桶に寝かされ、イエス(ヨシュア)と名づけられた。BC4年のことである。

 ベツレヘム郊外で野宿をしながら羊の番をしている羊飼いたちがいた。天使は彼らに救いの御子の誕生を伝えた。彼らは急いで馬小屋の幼な子のもとに駆けつけた。そして神をあがめ、賛美しながら帰って行った。

 東方では輝く星(ベツレヘムの星)を見た三博士(三賢人)がいた。彼らは星に導かれてベツレヘムにたどりつき、マリアとイエスに拝謁して贈り物をささげた。この三博士の贈り物がクリスマスプレゼントの始まりとなった。

 世界史上、最も重要な人物イエスの誕生の物語である。

エリサベト
(Elizabeth)


東方三博士の礼拝(捨て子養育院 フィレンツェ)

 東方の三博士がベツレヘムに着き、ユダヤの支配を任されていたヘロデ大王に「ユダヤの新しい王となる子はどこにおられますか?」と訊ねた。ヘロデは驚き、王位を守るためにその子を始末しなければと考えた。彼は、その子の様子を知らせるようにと三博士に頼んだ。しかし、彼らはまっすぐ帰ってしまった。ヘロデは激怒し、「ベツレヘムにいる2歳以下のすべての男児を殺せ」と命令した(幼児虐殺)。ヨセフは危険を察知し、エジプトに脱出した。ヘロデに殺された幼児たちはキリスト教の最初の殉教者となった。

 ヘロデ大王が亡くなるとイエスたちはユダヤに戻り、ナザレの町に住んだ。イエスはそこで育ち、父と同じ大工の仕事に就いた。

 マリアが受胎告知された時、親戚のエリザベトも妊娠していると教えられた。マリアはエリサベトを訪問し祝意を伝えた(聖母の訪問)。やがてエリザベトは男の子を産んだ。この子が洗礼者ヨハネである。

イエス
ヘブライ語ヨシュアのギリシア語読み。英語はJesus(ジーザス)
キリスト
ヘブライ語メシア(救世主)のギリシア語読みがキリスト
救いの御子 神は人間の罪(原罪)を救うために御子をこの世に遣わせた
クリスマス
Christmas:キリストのミサ(Christ's Mass)、降誕祭、聖誕祭
洗礼者ヨハネ(バプテスマのヨハネ, John the Baptist)
キリストの洗礼(絵画館 ベルリン)

 AD29年頃、エルサレムの南にあるユダの荒野に一人の預言者が現れた。洗礼者ヨハネである。彼は「悔い改めよ、神の国は近づいた」と説き、ヨルダン川で罪を告白した人々に洗礼を授けていた。神の国とは、ダビデの頃の栄光あるユダヤの国(イスラエル王国)のことである。イエスはヨハネを訪ねた。イエスの姿を見たヨハネは「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」と叫んだ。そして、イエスに洗礼を授けた。

 ユダヤはヘロデ大王の息子のヘロデ・アンティパスの時代になっていた。彼は兄の妻ヘロディアと不倫の仲になり、それを批判したヨハネは捕らえられた。ヘロディアの娘がサロメ(Salome)である。ヘロデの誕生日の夜、彼はサロメに踊りを所望した。どんな褒美でも与えると。サロメはベールを次々に脱ぎ捨てる「7つのベールの踊り」を踊った。見事な踊りだった。彼女は褒美にヨハネの首を求めた。

ヨハネの首を受け取るサロメ
ヨルダン川での洗礼

伝道


イエスの家族(聖ヨセフ教会:ナザレ)

 洗礼を受けたイエスは荒野に出かけ、40日間悪魔と戦いながら厳しい修行をした。そして、「神は、罪深い人間を裁いて罰する存在ではなく、どんな人間にもやさしく、愛を注ぐ存在である」という悟りを開いた。イエスが最後までつらぬいた愛の姿は、パウロ愛の賛歌に示されている。

 洗礼者ヨハネが捕らえられると、イエスはガリラヤへ伝道の旅に出た。「神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」。ある日ガリラヤ湖のほとりを歩いていると漁師の兄弟のシモン(ペテロ)アンデレに出会った。イエスは「私について来なさい」と言って彼らを弟子にした。また、網の手入れをしていたヤコブヨハネの兄弟にも声をかけた。彼らもイエスの弟子になった。

 イエスは各地で多くの病人や体の不自由な人をいやした。彼の話は人々の胸を打ち、人々に生きる希望を与えた。イエスの評判は高まり、おびただしい群衆が彼のもとに集まってきた。

山上の 垂訓 すいくん (Sermon on the Mount)

 ある日、イエスは山に登り、弟子たちと多くの群集に静かに話し始めた(山上の垂訓)。


『山上の垂訓』 カール・ハインリッヒ・ブロッホ

またイエスは「あなたがたはこう祈りなさい」と言って祈る時のことばを教えた(主の祈り)。

至福の教え
The Beatitudes
「心貧しき人達は、さいわいである。天国は彼らのものである・・・」など8つの幸福について話した。困っている人を助け、正しい生活をする人が幸せになれる。
地の塩、世の光(よのひかり)
あなたは塩のように大切な存在であり、周りの人たちの道しるべになる世の光である。
情欲をいだいてはならない
情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫しているのと同じである
報復について
『目には目を、歯には歯を』というが、悪人に手向かうな。右の頬を打たれたら、左の頬も向けなさい。
敵を愛する
『隣人を愛し、敵を憎め』というが、敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。神は、正しくない者の上にも正しい者の上にも、太陽を昇らせ、雨を降らして下さる。
求めよ、さらば与えられん
Ask and it will be given to you
求めよ、さらば与えられん。探せ、さらば見出さん。 門を叩け、さらば開かれん。パンを欲しがる自分の子に、石を与える者があろうか。悪人でも、自分の子には良い物を与える。まして天の父は、必ず良いものを与える。自分にしてもらいたいことがあれば、人にもそのようにしなさい。
岩の上と砂の上
(砂上の楼閣)
私の言葉を聞いて行う者は、岩の上に家を建てた賢い人である。 雨が降り、洪水が押し寄せても、家は倒れない。私の言葉を聞いても何もしない者は、砂の上に家を建てた愚かな人である。 洪水が押し寄せると倒れてしまう。
豚に真珠
神聖なものを犬に与えるな。豚に真珠を投げるな。足で好意を踏みにじり、噛みついてくるだろう
思い悩むな
明日のことは思い悩むな。その日の苦労はその日だけで十分である。
イエスの伝道
カナの婚礼

 イエスは数々の奇跡を起こした。カナの町で婚礼が開かれ、ぶどう酒がなくなってしまった。イエスは「6つの水がめに水を入れよ」と言った。しばらくしてそれを客に配ると、水はぶどう酒に変っていた(カナの婚礼)。

 イエスの話を聞きに5000人の群衆が集まった。彼らにに食事を振る舞おうとしたが、パン5つと魚2匹しかなかった。イエスはそれを持って天に祈り、パンを裂いて群衆に与えた。群衆はそれを食べて満腹になった。夕方になって弟子たちは舟で出発した。湖は荒れていた。群衆を解散させたイエスは湖の上を歩いて追いかけた。その姿を見て弟子たちは驚愕した。イエスが舟に乗り込むと嵐は静まった。

 イエスは体の不自由な人や病人、悪霊に取りつかれた者など多くの人を救った。また、病死したラザロの墓の前で祈りをささげ、ラザロを甦らさせた(ラザロの復活)。

 神殿の境内での出来事である。人々が姦淫した女を連れてきて、「この女は卑しい女です。モーゼは石で打ち殺せと命じていますが、どうしましょうか?」と訊ねた。イエスは「あなたたちの中で罪を犯したことがない者が、まず、石を投げなさい」と言った。人々は年寄りから一人づつ消え、最後にイエスと女だけが残った。

最後の晩餐

 

 

 

 

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オリーブ山から見たエルサレム

 イエスたちは伝道の旅をつづけた。AD30年の過越祭直前の日曜日、ロバに乗ったイエスは、12人の弟子とエルサレムに入城した。人々はナツメヤシ(あるいはシュロ)の枝を持ち「ホサナ。主の名によって来られる方に祝福があるように。いと高きところにホサナ。」と叫んで迎えた。ユダヤ教では「メシアは過越祭の時に入城する」といわれていた。まさにその日だった。

 イエスはエルサレム神殿に出かけ、そこで商売している商人たちを追い払い、ユダヤ教の指導者たちを批判した。彼らはイエスを捕らえ、審問にかけようとした。それを悟ったイエスは最後の晩餐をとった。


エルサレム入場
 イエスは、食卓のパンとぶどう酒を自分の体と血であるといい、これから起こる受難と死を予告した。また、この中に裏切り者がいること、弟子たちが離反すること、ペテロがイエスを否認することも予告した。
受難と処刑
苦悩するイエス(ゲッセマネ:エルサレム)
 イエスは晩餐の後、弟子たちを連れてオリーブ山のゲッセマネ(搾油所)に行った。弟子たちは眠りこけたが、イエスは一人で苦しみ悩んだ。「父よ、できることなら、この杯(苦難と死)を我より取り除きたまえ」。やがてユダが手引きした官憲が乱入し、イエスは逮捕された。弟子たちは逃げ、残ったペテロはイエスとの関係を否認した。

 ローマのユダヤ総督ピラトはイエスを尋問し、「この男にはいかなる罪も見いだせない」とイエスを釈放しようとした。しかし、ユダヤの民衆は「イエスの血の責任は我々と子孫にある」と言って十字架刑を強く要求した。イエスを処刑に追い込んだことがヨーロッパにおけるユダヤ人迫害の大きな要因となった。
 右の絵は『裁かれるキリスト(フィラデルフィア美術館)』

ヴィア・ドロローサ
第3ステーション 倒れるイエス

 翌日、イエスはINRI(ユダヤの王、ナザレのイエス)の札が貼られている十字架を背負い、茨の刺のある冠をかぶってゴルゴタの丘に続く道を歩かされた。この道は悲しみの道(ヴィア・ドロローサ:ViaDolorosa)と呼ばれ、14のステーションが設けられている。

 @イエスが裁かれ A十字架を背負い B倒れ C母マリアがそれを見て D別の者が十字架を背負い Eヴェロニカが絹のハンカチで顔を拭い(そのハンカチにキリストの顔が浮き上がった) Fまた倒れ G女たちと語る。『エルサレムの娘たちよ、私のために泣くな。あなた方自身のため、自分の子供たちのために泣くがよい』 H三度目に倒れ Iゴルゴタの丘で衣服を剥ぎ取られ J十字架に釘づけにされる。『父よ。彼らをお赦し下さい。彼らは何をしているのか自分でわからないのです。』 K最後に『父よ、すべてを御手に委ねます』と言って絶命した L十字架から遺体が降ろされ M遺体を亜麻布で包み墓に納めた。その墓はエルサレムの聖墳墓教会の中にある。

【INRI】ラテン語の「Iesvs Nazarenvs Rex Ivdaeorvm」:ユダヤ人の王、ナザレのイエス。I:イエス N:ナザレ R:王 I:ユダヤ人

復活そして昇天 十字架から降ろされるイエス(メトロポリタン美術館)

 イエスの遺体は3日目に墓から消えた。イエスは各所に現われ、悲嘆にくれる弟子たちに言葉をかけた。イエスの復活である。そして40日目に弟子たちが見守る中、オリーブ山の頂上から天に昇っていった。イエスが伝道に費やしたのは、3年という短い期間だった。そこに凝縮された言葉や奇跡の数々は、2000年を経た今日でも人々の心を揺るがしている。

 残された弟子たちは、激しい後悔と自己嫌悪に襲われていた。慈愛あふれるイエスを見捨ててしまったのに、イエスは責めるどころか『父よ。彼らをお赦し下さい・・』と神にとりなしてくれた。彼らは衝撃を受けた。「彼こそメシア(キリスト)である。神のひとり子が全ての人々の罪をあがなうために十字架に架けられた」と考え、自分たちの使命はイエスの教えを広めることであると悟った。こうして、キリストを礼拝するキリスト教が誕生した。臆病だった彼らは敢然と立ち上がり、命をかけて宣教の旅に出発した。彼らは各地で迫害され、ヨハネを除く全員が殉教した。

用語解説
福音
イエスの言葉と行動による教え。これらを記述したのが福音書。福音は、ギリシア語でEvangelion(エウアンゲリオン)、英語でGospel(ゴスペル)。
イースター(Easter)
キリストの復活を祝う日(復活祭)。ニカイア公会議後、春分の日後の最初の満月から一番目にくる日曜日となった。
三位一体

(創造主である神)と、(神の子イエス)と、聖霊(神の御霊(みたま))とが、一体となったキリスト教の神

父と子と聖霊の御名において
In the name of the Father, and of the Son, and of the Holy Spirit. Amen.
アーメン(amen)
ヘブライ語で「誠にそうです」の意味。古代ユダヤ教会では、ラビが聖書の一句を読み、会衆が復唱して聖書を暗記した。しかし、次第に復唱が面倒になり、アメン(そのとおり)とだけ言うようになった。これがキリスト教にも受け継がれ、神父の祈りの言葉に会衆がアーメンと言うようになった。ギリシャやロシアでは「アミン」、英語圏では「エーメン」と唱える。
ハレルヤ
ヘブライ語のアレルヤ(halleluyah):ヤハ(yah:神)を賛美せよ!
キリエ・エレイソン

ギリシア語で「主よ、憐れみたまえ」。Kyrie eleison、Kyrieは主。英語では、Load, have mercy.

ホサナ
イエスのエルサレム入城時に群集が叫んだ歓びの言葉。日本語の万歳のような意味。
主の祈り
The Lord’s Prayer
日本語
英語
天におられるわたしたちの父よ
み名が聖とされますように
み国が来ますように
みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように
わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください
わたしたちの罪をおゆるしください
わたしたちも人をゆるします
わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです
アーメン
Our Father in heaven,
hallowed be your name.
your kingdom come.
your will be done, on earth as in heaven.
Give us today our daily bread.
Forgive us our sins,
as we forgive those who sin against us.
Lead us not into temptation, but deliver us from evil.
For the kingdom, the power, and the glory are yours
now and for ever. Amen.
愛の賛歌
パウロの回心

 キリスト教徒を迫害していたパウロは、復活したイエスに出会い回心する(パウロの回心)。彼は熱心なキリスト教徒となり、イエスの愛に生きる道を、新約聖書の「コリントの信徒への手紙」の中で語っている。結婚式でよく耳にするこの言葉は愛の賛歌と呼ばれている。

 「たとえ、どんなものを持っていようとも、愛がなければ、無に等しい」

愛は忍耐強い。愛は情け深い。
ねたまない。
愛は自慢せず、高ぶらない。
礼を失せず、
自分の利益を求めず、
いらだたず、
恨みを抱かない。
不義を喜ばず、
真実を喜ぶ。
すべてを忍び、すべてを信じ、
すべてを望み、すべてに耐える。
Love is patient, love is kind.
It does not envy,
It does not boast, it is not proud.
It does not dishonor others,
It is not self-seeking,
it is not easily angered,
it keeps no record of wrongs.
Love does not delight in evil,
but rejoices with the truth.
It always protects, always trusts,
always hopes, always perseveres.
 
 「愛は決して滅びない」  Love never fails.
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【参考資料】
名画に見るキリスト 田中忠雄・田中文雄 保育社
イエスの生涯 遠藤周作 新潮文庫
キリストの誕生 遠藤周作 新潮文庫
名画と読むイエス・キリストの物語 中野京子 文春文庫