暦の歴史
ロムルスの暦

 ローマの初代王ロムルスは、1年が10ヶ月(304日=8日/週×38週)の暦を作った。残りは冬の期間として数えない暦だった。この304という数字は、女性のおなかの中で胎児の過ごす期間ではないかといわれている。

 この暦は実用的なものではなかった。

1月
マルティス
(Martius:軍神マルス)
7月
セプテンベル
(September:ラテン語の7)
2月
アプリリス(Aprilis:愛の女神アフロディテ)
8月
オクトベル
(October:ラテン語の8)
3月
マイウス
(Maius:豊穣の女神マイア)
9月
ノウェンベル
(November:ラテン語の9)
4月
ユニウス
(Junius:ゼウスの妻ユノ)
10月
デケンベル
(December:ラテン語の10)
5月
クィンティリウス
(Quintilis:ラテン語の5)
   
6月
セクリティス
(Sextilis:ラテン語の6)
   
ヌマの暦

 BC700年、2代目王ヌマが、月の満ち欠けを利用した太陰暦を採用した。この暦は29日と30日を交互に繰り返し、1年は12ヶ月となった。1年は354日になるが、合計が偶数になるのを嫌い、355日とした。

 この暦は約10日短いため、数年に1回閏月を挿入して、月と季節を一致させた。この暦はカエサルが太陽暦に改正するまでの650年間使用された。

1月
マルティス
7月
セプテンベル
2月
アプリウス
8月
オクトベル
3月
マイウス
9月
ノウェンベル
4月
ユニウス
10月
デケンベル
5月
クィンティウス
11月
ヤヌアリウス
(Januarius:入口の神)
6月
セクスティリス
12月
フェブルアリウス
(Februarius:償いの神)

ユリウス暦

 ナイル川の洪水を予測するために天文学が発達したエジプトでは、1年が365日であることを知っていた。BC2100年頃には、1年を365.25日とした。しかし、端数の0.25日は無視されたため、1460年(=365/0.25)後には1年のずれが生じた。

 カエサルはエジプトの学者ソシゲネス(Sosigenes)をローマに招き、暦の改訂にあたらせた。そして1年が365日で、4年に一度、閏年(うるう年)を設けるユリウス暦が作られた。また1年の始まりを立春(マルティス)から執政官の任期が始まるヤヌアリウス(January)に変更した。

 やがて、7月をカエサルの名前ユリウス(July:Julius)にし、8月を初代皇帝アウグストゥス(August:Augustus)で呼ぶようにした。

1月
ヤヌアリウス(Januarius:入口の神ヤヌス)
7月
ユリウス(Julius:カエサルの誕生月)
2月
フェブルアリウス(Februarius:償いの神)
8月
アウグストゥス(Augustus:アウグストゥスが亡くなった月)
3月
マルティス(Martius:軍神マルス)
9月
セプテンベル(September:3月から数えて7番目)
4月
アプリウス(Aprilis:愛の女神アフロディテ)
10月
オクトベル(October3月から数えて8番目)
5月
マイウス(Maius:豊穣の女神マイア)
11月
ノウェンベル(November:3月から数えて9番目)
6月
ユニウス(Junius:ゼウスの妻ユノ )
12月
デケンベル(December:3月から数えて10番目)

1月だったマルティスが3月になったため、元の7〜10月は2ヶ月ずれることになった。7月だったセプテンベル(September)は9月になった。
グレゴリオ暦

 ユリウス暦の1年は実際より長く、128年で1日遅れる。時が過ぎ、1582年には13日ほどずれていた。そこでグレゴリウス13世(Gregorius XIII)がグレゴリオ暦に改訂した。
@325年のニケア公会議からのズレ10日を暦から除く。すなわち1582年10月4日の翌日を10月15日とする。
A西暦が100で割れ、400で割れない年は閏年としない。

 このグレゴリオ暦は、プロテスタントやギリシャ正教、ロシア正教を信ずる国では普及しなかった。イギリスは1752年に採用、ロシアなど正教国は19世紀になってからである。日本は、明治6年にユリウス暦を導入、明治33年にグレゴリオ暦を採用した。

 日本からヨーロッパに派遣した遣欧使節は、この教皇グレゴリウス13世に拝謁しローマ市民の大歓迎を受けた(1585年)。

紀元の話

 日本は神武天皇が大和橿原宮で即位したBC660年を紀元としていた。日本海軍の主力戦闘機零戦は、1940年(昭和15年)に正式採用された。この年が皇紀2600年にあたるため、「零式(下2桁が0)」という名前が付けられた。

 イスラム暦(ヒジュラ暦:hegira)はムハンマドがメッカからメジナに移った622年を紀元としている。イスラム暦は太陰暦(1年は354日)を使用しているため、毎年異なる日に新年を迎える。

 ユダヤ暦ではトーラーを基に天地創造以来の日数を足しこんで(つまり天地創造に7日、その後アダムとイブは何歳まで生きて、…という数字を全部足しこんで)年数を決めている。ちなみにユダヤ暦の紀元はBC3761年。

 中国では干支を用いて60年サイクルの年号と為政者が決定する元号を併用した。

 古代マヤ文明ではBC3114年8月11日を基点とするマヤ暦が使われた。マヤ暦は2012年12月21日で終っているため、その日に人類が滅亡すると騒がれた。マヤ暦は1年=365.2420日で、我々の暦と0.002日しか誤差がない

 532年、ローマの修道僧エクシグウス・ディオニシウスは、聖書を基にキリスト誕生の日付を推定し、その年を紀元1年として現在にいたっている。

 「紀元2000年」はA.D.2000と書くが、このA.D.はAnno Dominiつまり「主(である神キリスト)による年」、という意味。紀元前のB.C.がBefore Christつまりキリスト前。最近では、キリストの誕生は紀元1年の12月25日ではなく、紀元前4年〜6年頃の10月頃であったといわれている。