一切を棄つるの覚悟
日清、日露、第一次世界大戦の戦勝国となった日本は、軍備も領土もさらなる拡張をめざしていた。そこに米国が軍縮を話し合うワシントン会議を呼びかけた(1921年)。うろたえる日本政府や国民に、東洋経済新報のジャーナリストだった石橋湛山(当時36歳)が、小欲にとらわれて他国を侵略するより「一切を棄つるの覚悟」を持って世界に模範を示せという社説を発表した。

 我が国の全ての禍根は、小欲に囚われていることだ、志の小さいことだ。古来無欲を説けりと誤解せられた幾多の大思想家も、実は決して無欲を説いたのではない。彼らはただ大欲を説いたのだ。大欲を満たすがために、小欲を棄てよと教えたのだ。

 しかるに我が国民には、その大欲がない。朝鮮や、台湾、支那、満州、またはシベリヤ、樺太等の、少しばかりの土地や、財産に目をくれて、その保護やら取り込みに汲々としておる。従って積極的に、世界大に、策動するの余裕がない

 もし政府と国民に、総てを棄てて掛かるの覚悟があるならば、会議そのものは、必ず我に有利に導き得るに相違ない。例えば満州を棄てる、山東を棄てる、その他支那が我が国から受けつつあるありと考うる一切の圧迫を棄てる。また朝鮮に、台湾に自由を許す。その結果はどうなるか。

 英国にせよ、米国にせよ、非常の苦境に陥るだろう。何となれば彼らは日本にのみかくの如き自由主義を採られては、世界におけるその道徳的位地を保つを得ぬに至るからである。そのときには、世界の小弱国は一斉に我が国に向かって信頼の頭を下ぐるであろう。インド、エジプト、ペルシャ、ハイチ、その他の列強属領地は、一斉に日本の台湾・朝鮮に自由を許した如く、我にもまた自由を許せと騒ぎ起つだろう。これ実に我が国の地位を九地の底より九天の上に昇せ、英米その他をこの反対の地位に置くものではないか。

 ここにすなわち「身を棄ててこそ」の面白味がある。遅しといえども、今にしてこの覚悟をすれば、我が国は救われる。しかも、こがその唯一の道である。しかしながらこの唯一の道は、同時に、我が国際的位地をば、従来の守勢から一転して攻勢に出でしむるの道である。

1956年の石橋内閣の閣僚
最前列中央が石橋湛山、左が岸信介(外務大臣)、右が池田勇人(大蔵大臣)

第55代内閣総理大臣となるが病気のため65日で退任し、岸信介が後を継いだ。