| イスラム世界の形成と発展 | ![]() |
預言者ムハンマド(マホメット)が始めたイスラム教は、ユダヤ教やキリスト教の影響を受けて生まれた。その独特の聖戦の概念により、僅か1世紀の間に中央アジアから北アフリカ、イベリア半島にいたる大帝国を築いた。 11世紀以降は北アフリカのベルベル人の改宗が進み、内陸アフリカにも広まった。また、インドにも王朝を建設し、13世紀に入ると貿易活動を通じて東南アジアにも広まっていった。 イスラム文明は、コーランを中心とする宗教・学問と外来の文明が融合したものである。ギリシアやインドから学んだ自然科学や数学は、ヨーロッパに大きな影響を与えた。特にインドから学んだ十進法とゼロの概念は、数学を発達させ、 現在使用しているアラビア数字は、イスラム世界で完成された。 また、イスラム商人の活動は、中国・インド・ヨーロッパに広がり、文明の交流に大きく貢献した。現在、イスラム教徒は6億人を超えている。 |
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Muhanmad |
![]() 天使ジブリールから啓示を受けるムハンマド (エディンバラ大学所蔵「預言者ムハンマド伝」の細密画) |
7世紀の初め、ササン朝ペルシアとビザンツ帝国がシリア・アルメニア方面で攻防を繰り返していた。そのため、絹の道は途絶え、紅海貿易も衰えた。東西の交易は、アラビア半島西部経由で行われ、メッカの商人達は中継貿易で莫大な利益を上げていた。また、メッカには遊牧民の信仰の対象であるカーバ神殿もあり、多くの人が集まった。 ムハンマドは、メッカを支配していたクライシュ族の子として生まれる。6歳で孤児となった彼は、成人すると隊商貿易に従事、25歳頃に裕福な未亡人ハディーシャと結婚した。2人の男の子と4人の女の子に恵まれ、落ち着いた生活をしていた。ただ、瞑想的な性格で近郊の洞窟にこもることが多かった。 ある日、メッカ近郊ヒラー山の洞穴で瞑想にふけっていると、天使ジブリール(ガブリエル)がアラーの啓示を伝える。これが最初の啓示で、その後何度も啓示が下り自分が預言者であることを自覚する。 ムハンマドは、近くの者に啓示の教えを説き始めた。最初に、妻のハーディシャが信者となり、従兄弟のアリーや友人のアブー・バクルなどが続いた。これがイスラム教の原点である。 |
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![]() カーバ神殿 |
最初の啓示から4年が過ぎたが、ムハンマドの信者はまだ30人程度だった。多神教を信じる商人や貴族からの反感が強く、妻や後ろ盾の叔父も亡くし次第に孤立感を深めていった。 そこで新しい活動の場を求めて、メッカの北ヤズリブ(メディナ)に移住した。これは、ヒジュラ(聖遷)と呼ばれ、移住した622年がイスラム暦の元年となった。 メディナに移ったムハンマドは、イスラム独自の儀礼を確立した。そして信仰共同体の結束を固めて武装し、メッカとの武力闘争を開始した。まず、メッカとシリアとの交易路を遮断し、メッカの隊商隊を襲った。何度もメッカ軍と交戦し徐々に勢力を拡大していった。 627年、ハンダクの戦いで1万のメッカ軍を破り、630年にメッカに無血入場する。ムハンマドは白いラクダに乗ってカーバ神殿を7周し、そこに立ち並んでいた360の偶像を全て破壊した。カーバ神殿はアラーの神殿となった。 |
| アラビア統一 | ![]() 岩のドーム(エルサレム) |
ムハンマドは、メッカ征服の前後からアラビア各地の遊牧部族を信者にし、631年にはアラビア半島全土を統一した。632年、4万の信者とともにメッカに巡礼し、メディナに戻った。数ヵ月後の6月8日、この世を去った。 ムハンマドはメッカのカーバ神殿から天子ジブリール(ガブリエル)に連れられてエルサレム神殿まで旅をし、神殿の岩から天馬に乗って昇天したといわれている。ムハンマドが昇天した場所にはウマイヤ朝の時代に岩のドームが築かれた。 ムハンマドは、後継者を指名しなかった。彼の死の翌日、長老格のアブー・バクルが初代カリフに選出され、正統カリフ時代に入る。 |
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【参考資料】
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・安息日は金曜日 ・女性は肌を見せてはいけない ・妻を4人まで持てる。ただし、平等に愛すること ・豚を食べてはいけない |
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