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フランスの歴史2
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カペー朝
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987年、カロリング朝のルイ5世が亡くなると、パリ伯ユーグ・カペー(Hugues Capet)が国王に推挙されカペー朝を開いた。カペー朝はパリ周辺を統治するだけの弱小国家だったが、徐々に勢力を拡大していった。1328年、第15代シャルル4世が死去すると、後継ぎがなく断絶した。
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カペー朝の断絶後、カペー家の遠縁ヴァロワ家のフィリップ6世が即位しヴァロワ朝(dynastie des Valois)が始まった。この王朝の最初はイングランドとの百年戦争に苦しんだ。この長期にわたる戦争で封建諸侯は没落し、王権が強化された。1589年までの間に13代の王を輩出した。 16世紀後半になると、ユグノー戦争が始まり、1572年にはサン・バルテルミの虐殺がおこった。1589年に13代アンリ3世が暗殺され、ヴァロワ朝は断絶した。 |
![]() ジャンヌダルクがシャルル7世に謁見したシノン城 |
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1589年、アンリ4世がフランス王に即位しブルボン朝が始まった。彼は1598年にナントの勅令を発布し、プロテスタントの権利を認めた。これにより、ユグノー戦争は収束し国家は統一された。 1610年にルイ13世が即位、摂政リシュリューの政策によって、絶対主義体制が整えられていった。またドイツで起こった30年戦争にも介入した。 次に即位したのが太陽王ルイ14世である。彼はヨーロッパの覇権を目指してたびたび侵略戦争を起こしたが、列国の反撃により成果は少なかった。また、ヴェルサイユ宮殿を建設し、一流の芸術家や文人を集めた。晩年はスペインの王位継承をめぐって各国と戦った。表面は華やかだった太陽王の治世も、相次ぐ戦争のため軍事費が増大し、経済は混乱した。さらにナントの勅令を廃止したため、新教徒はヨーロッパ各国や新大陸に逃れた。この結果、フランス資本が海外に流出することになった。 ルイ14世の後を継いだルイ15世も、オーストリア継承戦争などの対外戦争の軍事費を重税で賄った。こうしてフランス革命の遠因が作られていった。 |
![]() 太陽王ルイ14世(ベルサイユ宮殿) |
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【参考資料】
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